4 蠢動
青木は何でも百円で買える、ワンコインという新たな事業部長となっていた。というより、本部から放逐されたというのがあってるのだろうか?ともかく彼は一蓮托生の吉村とともに、打倒田舎っぺをスローガンになりふり構わず社員の尻を叩き始めた。だが、部下の仕事ぶりは悪く、彼の苛々は募るばかりだった。
「どうしてこんなに少ないんだ。引っ張ってきた俺の立場も少しは考えてくれないとな」
ワンコインは百円ショップと同じだが他の既存店と違うのは、店内でホットドッグやヤキソバなどを食べることができた。生活雑貨よりも食べ物にウエートを置いた店舗だった。だが、その食材の仕入れ値はワンダラー同様で高い。百円のホットドッグを売るのに食材の仕入原価が六十円。その他に光熱費や維持費など充当すると、とても間尺に合う商売とはいえない。
それをワンコイン側では薄利多売すれば利益は出ると試算していた。客寄せは全て本部側でするし、清涼飲料水などスポット物を安く提供するので、絶対に損はしないともいった。仮に生活雑貨を六十円で卸してくれたとしても、粗利は四十円。一万円の利益を出すには二百五十個の商品を売らなければならない。都会の百円ショップならそれは苦もないことだろう。だが、ワンコインは田舎っぺ同様に地方での店舗展開を目論んでいる。地方で生活雑貨を二百五十個を売るとなれば、それなりの集客力がなければかなり難しいことだろう。
それでもワンコインでは、十坪ほどの店とちょっとした倉庫があれば、老人でも小遣い稼ぎができますよといってるのだ。しかも堅苦しいマニュアルもなく、商品の仕入れもオーナーの好きなようにできる。ただし、焼きそばとホットドッグだけは必ず売ってくれという条件だった。
こんなことで、誰がフランチャイズ店として加盟するだろうか?
吉村はそう思っていたが、彼の思いに反して当初の説明会には二百人以上の応募があった。それが回を重ねる毎に人数が減少しているので、青木は吉村に詰め寄っているのだった。年度末まで三百店舗の達成を何としてでもやり遂げなければ、青木はワンコインからも追放されそうな雲行きだった。その目標まであと僅かだったが、残された期間は一ヶ月をきっていた。
「こうなったらフルコミのセールスで売り込みを掛けるしかないな」
「一軒でどれぐらい出せるんですか?」
「三万が限度だが、なるべく安くしてやらんと、後々のことがあるからな。あとは吉村。お前に任せるからやってくれ」
この夜、吉村はまっすぐマンションに戻り仲間と連絡を取り合った。そして、とにかくワンコインの店としてやっていけそうな知り合いの紹介を頼んだ。そして、自分が行けそうもないところがあればその仲間や繋がりのある者に、二万円の報酬で話をまとめてくれないかとも依頼した。
陽太は高校入試に合格したものの、進学するかどうかで迷っていた。行くとなれば遠海町まで通うことになり、これまでの環境とまったく異なる。そのことで、母と毎日のように話し合っている。
「行きたくないなら行かなくてもいいの。陽太の好きなようにしていいから」
「でも、行かないと、お母さんがお父さんに叱られるんじゃないの?」
「陽太がそんなこと気にしないの。好きなことやればいいんだから」
「だったら、ここでアイスクリーム作りたい。もっと山羊を増やして。できればジャージー種の牛も飼ってみたい」
「陽太はそんなこと考えてたの。でも、たまに叔父さんのを手伝うのと違って、それを専門にやるっていうのは大変なのよ。毎日、朝は早く起きなきゃいけないし」
「そんなの平気だよ。ほら、筋肉だって、こんなについてきた」
陽太はシャツをまくって肘を曲げ、力瘤を自慢げに作って見せた。
「凄いわね。それなら力仕事も平気ね」
「うん。餅つきもできたし」
「そうだったわね」
一年半で逞しくなった息子の身体つきに、麗奈は目を細めた。
麗奈は夫に陽太の希望を電話で伝えた。
はじめは高校も行かないんではきっと後悔すると反対する陽一郎だった。
「村井さんは本気で、ここをコミューンにする気みたいよ」
「だからって、陽太の将来をそこに賭ける気か?」
「無理に進学しても、また苛めに遭ったりしたら、今度こそ取り返しがつかなくなることだってあるじゃない」
風雲舎から違う環境に馴染めそうにない息子のことを思えば、納得せざる得ない陽一郎だった。
「あなたも私のためとかお父さんのためとかっていう体裁なんて気にしないで、奈美とこっちに来ればいいのよ。何の見栄もいらないし、気楽でいいじゃない」
「馬鹿なこといわないでくれ。そんなことしたら、生活できないじゃないか」
「そんなことないわよ。私だって毎月十五万円もらってるし。あなたがその気なら、ここでも仕事できるのよ」
「旅館の下働きなんか、俺の性に合わない」
「そんなあなたの血をひいいた陽太は、山羊や牛を飼いたいっていってる。親子なのに、どうしてこうも違うのかしら」
「そんなこと聞かれても、答えようがない」
「奈美はあなたと同じ性格みたいだけど、陽太は私に似てるのかしら」
「そうなんだろう。ま、リストカットなんかしないように、それだけは頼むぞ」
「厭なこといわないで。あの子、もう昔とは違うわ」
昔から、男の子は女親に、女の子は男親に似るといわれる。小此木一家もその例に漏れないのかもしれない。
ネットや児童相談所を経由して、風雲舎に訪れる人間が昨年秋から急増している。
万三郎は風越で里親になる人の募集もしているが、訪問者は風雲舎の自然環境と従事する人間性に惹かれ、誰もがそこでの居住を望んだ。
子供を預ける側としては、個人の家で嫌われるようなことがあれば一大事だが、風雲舎なら団体生活も学べるのが魅力のようだった。この春には、五人の新入生が増えることになった。
風雲舎の入寮費は学費以外に毎月五万円で、他の里親制度に比べたら安いほうかもしれない。食事内容もよく、三人用の部屋は十二畳と広い。
毎朝六時起床で山羊の飼育をした後は食事で、七時半には三キロ離れた分校へ通学する。学年によって帰る時間はまちまちだが、戻れば義男ともう一人が復習と予習の勉強を見た。その後は其々があいた時間に入浴を済ませ六時に夕飯だが、皆がそろって万三郎の話を聞きながら食事をする。七時から八時までは個人に応じて勉強だけでなくいろんなことを知りたい者のために、万三郎や義男だけでなく、春樹夫婦や麗奈までが相手をした。八時から九時までは皆で歌を歌ったりすることもあれば、寝たい者は寝た。遅くとも十時過ぎには就寝させた。
そういった規則正しい生活のなかで、大人たちは各人の個性を見出すように努めていた。
入居したときは誰もが挨拶もしない引っ込み思案な者ばかりだが、気心が知れれば自然と挨拶を交わすようになる。それどころか、普通の子以上によく話をするのもいる。そういった引き籠りだけでなく、何らかの事情でやってくる子供達は一ヶ月もすれば、たいがいは家族や兄弟のような関係に馴染んでいく。だが、自分の殻に閉じ困ったままの子もいた。
大沢潔は中学二年生だった。
比較的性格も明るく勉強もできる息子の異変に、両親は原因がなんであるかを本人に聞くも一切答えてくれなかった。ただ、転向できるなら学校へ行くというので、それならと風雲舎に入居させたのだった。
「どうだい?少しはここに慣れたかな?」
潔は首を少し縦に振るだけで、口を開くことがない。
「無理に話す必要はないけど、何か話したいことがあったらいつでもいいからくるんだ。一人で考えてたって、解決できないこともあるだろうしな」
祖父と同年代の万三郎に、潔はうんというだけだった。
万三郎は皆と大沢潔のことについて話し合いをした。
「何をいってもうんとか違うとか、紋切り型の言葉しか返ってこない。それに、顔の表情も曇ってる。学校でもその調子なんだろうか?」
「先生の話じゃ、他の生徒と話してるところを見たことがないっていってる」
「本人としても辛いだろうな」
「今が一番楽しい時だっていうのに、誰とも話さないなんて、よほどのことがあったんじゃないかしら。でも、転向するなら学校へ行くっていう本人の気持ち。これは希望があると思います。何かの糸口が見つかれば、きっと話しますよ」
「その糸口だが、ここへ来てもう三ヶ月になるっていうのに、まったく分からん。ここでけでなく、家でもある日突然話さなくなったっていうし」
「難しい年頃ですね」
大沢潔は高橋洋子という好きだった女子のことを思い出していたが、すぐに彼女の顔を瞼から消去した。
あんな奴、最低だ。藤野の馬鹿があんなこといわなきゃこんなことになってなかった。親友だと思ってた藤野が、裏切るなんて・・・。あいつらの人間性が早く分かってよかったんだ。
潔はそう思うと気が楽になるようだった。
「なんだか笑ってるみたいだね」
「そんなことないよ」
「いつもしかめっ面してたのが、歯を見せたじゃないか」
「しかめっ面なんてしてない。僕の顔はいつもこうなんだ」
「ここは皆優しい人だし、皆と話せばいいのに」
「何を?」
「何でもいいじゃないか。ご飯が美味しいとか」
「そんなこといったってしょうがないもん」
潔はここへ来る前は何でもない些細なことでもよく話した。給食のメニューのことや、今日は誰が宿題を忘れたとか、それこそどうでもいいことをあれこれと夕飯の時に母と話していたのだ。
「来年は卒業だろう。そうしたらどうするか知らないけど、ここにいる限りは皆と話したほうが面白いと思うな。どうせ一日を過ごすなら、楽しいほうがいいに決まってるだろう」
「ね、陽太さんはどうしてここに来たの?」
「苛めだよ。手首切ったこともある」
「僕もそんな気持ちになることあった。親友だと思ってたのがとんでもない奴だってことが分かって」
潔は陽太と二人部屋だったので、他には誰もいない。
いつもなら静かな陽太が話しかけてきて、ここに来た理由が苛めだという。
「親友だと思ってたのに裏切られたって訳か?」
「うん。そんなところ」
「友達ならまだこれからたくさんできるだろう。そんなことで黙り込んでたってしょうがないな。もっといい奴が見つかるよ」
「だといいけど」
「それには笑うのが一番だよ。もう一回笑ってみなよ」
「笑ってないって」
「笑ったって」
そんな押し問答をしてるうち、自然と潔の顔がほころんでくる。
「それだ。その顔なら皆と友達になれるな」
陽太にいわれ、潔は自分の顔の表情がどうなってるのか気になった。
「いつもはどんな顔してる?」
「ぶすってしると、いつ自殺するか分からない感じだよ」
「そうなんだ・・・」
「自分ではそうじゃないと思ってても、知らない人間にはそうとしか見えない。辛いときこそ笑えってよくいわれたよ」
「分かるけど・・・」
「何やってるんだよ」
野瀬明彦が入ってきた。
「ノックぐらいして入れっていってるのに」
「かたいこといわないでさ、楽しい夜にしようよ。ここじゃゲーセンもないし、誰かと話でもしないと気が狂いそうだよ」
陽太がくすっと笑った。
「何で笑ったのかな」
「人と話すのが苦手なのもいれば、野瀬君みたいに誰かと話さないと気が狂いそうだっていうのもいるし。人間いろんなのがいるなって」
「話すのが苦手って、誰?」
「大沢君だよ」
「大沢君は苦手じゃなくて、人間嫌いなんじゃないの。そういう時ってあるよ。誰だって。僕だって、話したくないときあるし。もう少し大人になったら、直るって。綺麗な女がいっぱいいるところでも行けば、いっぺんに話したくなるよ」
明彦は泉町から両親と一緒に引っ越してきて、中学も風越に変わったばかりだったが、学校でもこんな調子で人気者になっている。
「こないだ甲府行ったときなんて、可愛い子いっぱいいたよ」
「ませてんな。野瀬君は」
「ませてるって?」
「悪くいえば生意気ってこと」
「よくいえば早熟でしょ?」
明彦は人を食ったような顔でいった。
「それよりさ、大沢君はどんな子好き?僕は、石原里美だな。少し生意気だけど、ちいちゃい顔が可愛い」
明彦は携帯電話の待ち受け画面を見せながらいう。
「ね、ねー。大沢君は?」
「そんなのいないよ」
「嘘だ。僕より上なのに、好きな子いないなんて、おかしいよ」
「うるさい」
怒鳴るようにいう潔に明彦は驚くが、なおもかまわず聞く。
「陽太兄ちゃんは小野田舞だけど、大沢君なら樹里菜とか・・・」
樹里菜はファッションモデルとタレントを兼業し、スリムな身体に似合わない大きなバストが売りだった。
「ほら。これならあげるよ」
明彦は待ち受け画面を樹里菜に変え、それを潔に見せた。
潔は初めてみる樹里菜の画像に顔色を変えた。
四月になり風越に残っていた雪は見る見るうちに溶け、観光客が日に日に増えてきた。
思春期を迎えた一人息子の一磨と話す時間を持ちたいということもあり、芳江は喜左衛門駅前支店の終業時間を九時から七時に早めた。付近のスーパーやファミリーレストランは逆に営業時間を延長しているが、彼女はそれに同調する気はなかった。
「花見でこれから稼ぎどきなのに」
「そうだけど、色々やらなくちゃいけないこともあるのよ」
駅前商店街の人間達と顔を合わせるたびにそういって憚らない芳江だった。
「できればうちもそうしたいけど、生活かかってるし。それにフランチャイズの本部からはもっと売上げ増やせっていわれて、大変」
「井戸屋やってたときは、私もそれで悩んでたのよ」
「喜左衛門さん様々ってところね」
「本当」
芳江は店の前を掃除しながら、隣の店主とそんなことを話している。
「あたし、疲れてしょうがないし、この仕事辞めたいわ」
「旦那さんは知ってるの?」
「まだ話してないけど。忙しいだけでたいして儲からないし、旦那に話そうかって考えてるのよ」
「最近風越も人が多くなってるから、他の商売も何かできるんじゃないかしら」
遠海町町営住宅建設のため職人が町外からやってきている。昼時はそんな彼らの食事を町の中心部だけでは賄えきれず、風越まで足を伸ばしていた。
その町営住宅三百世帯が完成すれば千人前後の人口が増える。それにより風越駅前の商店街が潤うかどうかはあまり期待できそうにないが、商売をしている者にとっては歓迎すべきことだった。それより、今はその職人達の客で儲けることが先決問題なのだが、ファミリーレストランの店主夫人麻耶は首に巻いたタオルで額の汗を拭き、箒を持つ手を止めた。
「あー、疲れた。ね、芳江さん。うちでちょっと休もうよ」
「え?だって、お店の準備いいの?」
「いいのいいの」
まだパートも来てない店内で麻耶は営業用のではなく、自分が飲むためにおいてあるコーヒーを挽いて芳江に出した。
「いつものと味が違う」
「店のは薄くて不味いでしょう?」
そういって作り笑いする麻耶だった。
「もう、なんか厭になって・・・」
「どうしたのよ?」
いつもと違う麻耶に、芳江は彼女を気遣いながら話を聞き始めた。
他人を使って店を経営するということは、人材管理ができなければならない。さらに接客。自分ならこうすると思っても、使用人まで目の届かないこともある。さらには営業のスキル。麻耶のところなら調理だが、そういったことを全てひっくるめて、初めて店が成り立つ。だが、そういったことと利益が上がるかというのは別問題だった。さらに、マナーの悪い若者達が客としてやってきては、長時間居座るので店の雰囲気が悪くなってきた。
そんなことを止め処なく話す麻耶だった。
「うちの旦那なんて、未成年の癖に煙草吸いやがってって、いつも私にこぼすけど面と向かっていえないし。二人とも疲れちゃってるのよ」
「そうか・・・。分かるわ、そういうの」
「うちも喜左衛門さんみたいなお店でもやろうかって、いってるんだ。でも、ここじゃそんなのできないし。それなのに、芳江さんったらお店を早仕舞いするなんていうし、羨ましいったらありゃしない」
「村井君に会ってみたら。あの人なら、何かいいこといってくれるかもしれないし」
「それは、どうかな・・・。うちの旦那と相談してみないと」
村井春樹はひところに比べ風雲舎のことに関わる時間を減らし、喜左衛門にいることが多くなった。
昨年度の決算で売上げが落ち込み、その原因を知るためだった。
岩魚を背開きにし、三枚におろした身をのせて香草焼きにした物や、淡白な鯰の身をホウバ味噌焼きにしたりと、美紗緒は新たなメニュー開発に余念がない。美紗緒は喜左衛門では最古参の従業員で、彼女のいうことを誰もが聞いている。
「今日はかなり暑くなりそうだし、お昼の定食はチラシご飯にカレイの煮凝り。それに、鶏の蕗味噌煮にします。煮凝りは三日前に用意してあるから、チラシの下ごしらえを私とさっちゃんでやるとして、蕗味噌。それを美和さんと皆でやってね」
美紗緒がいい終わると、各自がてきぱきと動き出した。
この喜左衛門本店では弁当の販売はやめ、駅前店に任せている。それだけに、昼時の来店客を呼び込むメニューに、美紗緒は何日も前からあれこれ思案している。それがカレーの煮凝りだし、これはすぐに作れるものではない。それだけ、用意周到に計算しながら動いているのだった。
その美紗緒の思惑は見事に当たり、昼は座れない客がいるほどだった。
「村井さん」
「うん?」
「どうしても、夜七時で終わるんですか?」
「そうだよ。どうして?」
「もったいない気がして」
「確かにな。でも、そう決めたんだ。でも、七時にぴしゃっと閉めるんじゃなく、ラストオーダーってことだから」
「二時間も早仕舞いするなんて、どう考えてももったいないな」
「美紗緒さん、いつも七時前に来てるよね」
「それが?」
「十二時間もここにいて、帰ったら何もできないじゃないか」
「ここで食事して帰るし、帰っても旦那は戻ってないとき多いし。別にしたいことないですよ。お風呂入って、ビール飲むのが楽しみだけ」
「三十前だっていうのに、淋しいこといってるな」
「こんなもんだって」
「そういえば、温泉もうじき湧くぞ」
「へー。それはいい。ただで入れて下さいよ」
「美紗緒さんの楽しみを金で売るつもりないよ」
そうやって春樹は店の一日を振り返るが、これといって悪いところは見当たらない。やはり、弁当の販売を駅前に移したことや、じょじょに早仕舞いしてることが、売上げ減少に影響してると考えるのが妥当で、それなら問題なしとする春樹だった。
「明日から美紗緒さんは三時で上がってよ」
「どうしてですか?」
「旦那も早く帰すようにするし、二人で何かする時間持ちなよ」
「新婚じゃないし、いまさら二人ですることなんてないわよ」
「そろそろ、子供でもつくればいいじゃないか」
「子供なんて、まだ早いって」
「そんなこといってるから少子化になっちゃうんだよな。うちみたいに四つ児産めとはいわないから、せめて二人ぐらい産んで欲しいもんだね。そうすれば廃校なんてことならないし」
「村井さん。国会議員にでもなったほうがいいよ」
春樹は何を馬鹿なことをいうんだと思いながら、ポケットからつまみ出した一万円札を美紗緒に手渡した。
「これで義男さんと美味いもの食べに行きなよ」
「それはどうも。給料前でピンチだったし、助かる」
「貯金かなりしてるんだって?小遣い少ないって、義男さんが愚痴こぼしてたよ」
「先生辞めた、あの人が悪いんだし」
「ま、風雲舎も黒字にするようにするから、それまで美紗緒さんが頑張るしかないか。でも、三時に帰っても給料は同じだからいいでしょ」
「それは有難いけど、あとは誰がやるんですか?」
「俺がやるよ。弁当の配達は梶山さんが調理してくれるっていうし。あとは介護師に任せる」
麻耶は芳江に話したことで、今の仕事に熱意を完全に失っていた。
「あたしだけでも会って聞いてもいいでしょ」
「そりゃいいけど、せっかくここまでやってきたんだし」
「そんなこといったって、パートはしょっちゅう休んでそのたびに苦労してるじゃない。それでも儲かってればいいけど、夜中までやってるっていうのに、ろくな稼ぎもないのよ。隣なんて朝は早いけど夜は七時で終わってるし、週に一度は定休日もある。それが今度は、隔週で二日間休みにするっていってるのよ」
午前十時から深夜十一時までの営業時間だが、実際には朝は七時過ぎから仕込みにかかるし、夜は後片付けに掃除。それに伝票整理などで十二時を過ぎることが多い。
一日十七時間働いているのに確かに儲けは微々たる物だし、年中無休という過酷な労働条件に縛られている。そんな自分達の隣で喜左衛門をやっている芳江を見るにつけ、女房が羨ましいと思うのは当然だろう。
妻のぼやきが分かるだけに、夫の達治は反論できない。
「この仕事始めてからもう六年になるのよ。その間どこか一緒に行ったことある?せいぜいが隣町の日帰り温泉じゃない。もう、こんな生活厭よ」
「分かった。相手が相談に乗ってくれるっていうんなら行ってくれ」
二十四時間営業のコンビニに比べれば楽だがと思うものの、短い営業時間でも儲かっている喜左衛門を見ていると、フランチャイズ店でこのまま心身をすり減らしながらやっていくのは、確かにきついし馬鹿らしく思える達治だった。
「この商売を続ける続けないは別として、泊まりがけで旅行にでも行こう。そうでもしなきゃ、俺だって身体がもたない」
達治は窓から見える樹々の芽吹きを見ながらいった。