空想は小説より奇なり

自作小説の連載です 立ち読み大歓迎です
その気になれば細分化も可能
12 不思議な縁
 
 
 ワンダラーの出店数は伸び悩むいっぽうで、閉鎖店はそれを上回っている。 その理由が田舎っぺにあるとは思えないが、既存店の近くに出店してきてるのは間違いなく、売上げが落ち込むのを何とか防がなければならない。
 青木は商品部長と仕入れ部長に安くていい物をどんどん開発するよう依頼しているが、ランダムに動きまわる田舎っぺの身軽さに追いつけないのが現状だった。
「正直なところ、どう見ても勝ち目はないですよ。相手は本部の指令で商品を作るんではなく、オーナー自身がこれならいけると思えばすぐに販売しますから。海老塩のおにぎりをようやくラインにのせようと思った矢先に、先方では既に販売し始めたし」
 夏場はとかく食欲不振になり、あっさりした物が好まれる。食材の新アイテム開発部に迎え入れられた吉村は市場調査を重ね、塩分補給も兼ねた海老塩で結んだにぎり飯と、桜海老と長ネギを薄い生地で焼いたお好み焼きのセットを試作した。
 桜海老はフードプロセッサーで粉々にし、それに沖縄の塩を合わせて炒る。香ばしい海老の甘みと塩自体が持つかすかな甘みとが見事にマッチしていた。お好み焼きにはかすかな酸味と甘みが残るソースを添えた。
 それはどの役員からも好評で、売値も三百円と決定してライン生産しようかと思えば、田舎っぺのホームページでは既に販売されているといった有様だ。実際にそれを食べてみると、吉村が作らせたものより美味い。口の中でほどよくばらける食感は、まるでにぎり寿司のようだった。それが百円だというのだから太刀打ちできなかった。
 田舎っぺの海老塩むすびは兵庫県の赤穂店が販売したところ人気が高く、その店主が本部に連絡し、全店で販売するようになった。このように、田舎っぺは本部からのトップダウンではなくボトムアップが自由にでき、何事につけても臨機応変な販売をしている。
 そういった事態にワンダラー本部は、いっそのこと田舎っぺと同じスタイルの店を開発しようかという話まで飛び出した。だが、それは所詮無理なことだった。コンビニ本部にとっての収入源は各店舗に商品を卸し、その店舗から得るロイヤリティーだ。田舎っぺと同様の店舗を展開したところで大きな利益になる食材はほとんど卸せないし、日用雑貨などは既存店の利益以下になってしまう。
 そういう経営をしてる田舎っぺの村井春樹という男は、いったい何を考えてるのだろうと、コンビニ業界では気になるというか厄介な存在になっていた。
 
 雨後の筍のように看板を掲げる田舎っぺの店舗数は六百余りに膨れ上がった。
 その総会が甲府で開かれていた。
「本日はお忙しいなかお集まりいただきまして、本当に有難うございます。私としては、これほどの加盟店ができるとは夢にも思っていませんでした。皆さんと共に、今後も利用者に貢献できる田舎っぺにしたいと考えています。それでは、皆さんの健康と地域のために、かんぱーい」
 出席者四百人余りが梶山の音頭でいっせいに乾杯という声は、会場がある三階だけでなく全館に響き渡りそうな音量だった。
 この総会は強制参加ではなく、各地域の店舗同士の友好を図るのが目的だった。出席者の中には六十代以上の姿が多く見受けられた。がしかし、三十代前後の者もかなりいる。そういった幅広い年代層の交流風景のなかを、春樹は話を聞きながらまわっている。
「いつぞやはわざわざ出向いていただいて、有難うございます。若い奥さんとはどうですか?」
 新潟に行ったときに寄った店主を見つけ春樹が近づくと、開口一番妻のことを聞かれている。
「年末には子供も生まれる予定です」
「そりゃいい。子を持って初めて知る親の有難みっていうし。私はあなたに感謝してるけどね」
 定年退職で何もする気のなかった今井徹は、料理好きな妻の勧めで店を始めた。国道端という立地も手伝い、コンビニよりも食堂のウエートを大きくしたのがよかったのか、月の売上げは五百万を超し、純益は百五十万ほどになるという。
「奥さんの後押しのおかげですね。仲良く元気でやって下さい」
 春樹ははそうやって、いろんな店主から声をかけられてはビールを飲まされた。
 
 梶山は腕によりをかけて料理を作った。それを波流美と一緒に彼女の両親と妹が待つ客室に運んだ。
 生麩と椎茸の炊き合わせ、岩魚の姿づくり、松茸と鱈の土瓶蒸し、鶏レバーとささみの盛り合わせ、長ネギと鶏ももの山椒味噌焼き、松茸ご飯に汁蕎麦、それに酢の物や香の物などだった。
「美味いね」
「土瓶蒸しもいいけど、山椒味噌の香りがいいこと」
「レバーを油と塩で食べるのって初めてだけど、これはやみつきになりそう」
 三人の感想を聞き梶山はほっとするが、波流美の家族とは初対面で気が抜けなかった。
「これでいくらとるのかな」
 一万円だと梶山が答えた。
「人数がまとまればいいけど、二人客じゃ苦しくなるんじゃないかな。この部屋なら五人は寝られるし」
 波流美の父親がいうように客室は改造されて広く、二人だと採算は合わないが、週末はグループ客が多いので何とか凌いでいけそうだった。
「娘を宜しく頼むよ」
「はい。幸せになるように頑張ります」
 この夜、春樹は緊張しながらも波流美の家族と過ごした。
 
 浩二は昼は団地や学校近くを、夕方からは風越峠に車を停めた。
 彼自身ブログで移動販売車のことを知らせてるため、結構な利用客がいた。
「これで飲めれば最高だけどな」
 鶏もつとこんにゃくの煮込みは味噌味だがあっさりしている。それを塩味の鶏そばやおでんと一緒に食べる者までいた。
「繁盛してるな」
 春樹が女房と一緒に現れた。
「あ、今晩は」
「鶏そば二つだ」
「はい」
 景子は暮れなずむ空の向こうに実家があるんだと思うと、飛んで行きたくなるといった。
「このまま駆けて行けば、飛んでいける気がするからな」
 峠の駐車場は広く、その下は崖になっている。
「もう少ししたら、実家に戻ったほうがいいんじゃないか」
「そうね。あなたがいくら傍にいても、お産には役立ちそうにないし」
 景子が笑いながらいう。
「お袋でもいれば別だけどな」
「どんな子が生まれてくるか、楽しみだわ」
 浩二の呼ぶ声で車に戻りひとくち啜ると、いい出汁の味がする。麺も腰があって美味い。
「女房呼び戻さないで、由紀んところに入りびたりなんだろう」
 浩二は図星をさされ顔を赤らめた。
「ま、無理やり連れ戻しても、また逃げられたんじゃしょうがないしな」
「いいすぎよ」
 景子が春樹にずけずけいうなとばかりに、彼のジャンパーの裾を引っ張った。
「あの人。俺の初恋の人だった」
 春樹はむせ返り、丼を持ったまま後ろ向きで咳き込んだ。
「村井さんと付き合ってて、俺はまだ中学生だったし」
「よけいなこというなよ。女房の前で」
 浩二がいう前から由紀のことは知っていたので、景子は別に驚きもしないが、春樹の慌てる姿に苦笑した。
「十も年上の女だぞ。それも四十すぎで、すぐに婆ぁになるんだぞ」
「酷いいいかた」
「それでも俺・・・、あの人とならうまくやっていけそうだって気するし」
「あいつは?」
「店を持てるようになったら、そのとき考えるって」
「そうか。ま、頑張るんだな」
 秋の釣瓶落としで陽はとっくに沈み、風が強くなっている。
「早く食べないと、おなか冷えて子供のためによくないぞ」
「いいなぁ。あいつが生んだ俺の子供が、どんなだか見てみたい」
「そんな未練がましいこといってるようじゃ、商売うまくいかないぞ。諦めたんだったら、きっぱり忘れるんだ。じゃないと、由紀のことだってしくじるぞ」
 春樹はそういい代金を払った。
「忘年会だ。お前もこい」
 春樹は浩二に招待状を渡した。
 
 青木は春から田舎っぺの店を何件もまわり、そこでいろんなものを食べては印象を手帳に書き込んでいた。だが、今では書き込むこともなかった。自分がヘッドハンティングした吉村はそれなりによくやっているが、依然としてこれといったヒット商品を出せなかった。
「何かいい物できないもんかな」
 吉村は黙ったままだ。
「怒ってる訳じゃないんだ。ま、飲んでくれ」
 注がれた燗酒を、吉村は苦い思いで飲んだ。
 ワンダラーの青木は十月から店舗を統括する営業部長に昇格していたこともあり、売上げに一喜一憂していた。
「部長。首を覚悟でいいます」
「?」
 青木は神妙な口調でいう吉村にどういうことだと、テーブルに上体を乗り出した。
「いってくれ」
 田舎っぺに食材の取引をしようと意気込んで行ったときのことを、吉村は話した。
「安いとか何とかより、新鮮で美味いものじゃないと駄目だっていいました」
「それで」
「それだけです」
「何だ。当然のことじゃないか」
「その当然のことを、ワンダラーはやってますか?」
「どういうことだ?」
「私だけじゃなく、商品開発の皆は必死です」
「そんなこと、いわれなくても分かってる」
 青木は少し呆れ気味にいい、乗り出していた上体を椅子の背もたれに寄りかけた。そして、手酌でぬるくなった酒をいっきに飲み込んだ。
「喜左衛門は実際にその場で作って、すぐにお客さんに出してるんですよ。それも、値段はうちよりかなり安い」
「分かりきったことを、今更いってどうする?」
「この際、田舎っぺを買収するしかないと思います」
「買収?」
 吉村はいうだけいうと煙草を吸い始めた。
「全国に五千店舗を誇るワンダラーが、六百余りの、それも訳の分からないあんなちっぽけな店を買い取るっていうのか?」
 激高してる訳ではないが、大きな声でいう青木に他の客の目が注がれた。
 
 青木は役員会議の席上で、田舎っぺの買収について話した。
「試算したところ現状で十パーセント減ですが、今後この減少を食い止める材料がありません。先方はとにかくその場で作り、顧客の口にすぐ入る。極端ないいかたをすれば、多少まずくても食べられるわけです。また、当社がいくらいい物を提供したとしても、消費者の手に届くには最短で三時間かかります。高級料亭で贅沢な食材を最高の板前が調理したとしても、三時間もたった料理では如何なものかと思います」
「ということは、どう足掻いても、田舎っぺには敵わないというのかね」
「残念ながら、社長の仰るとおりです。田舎っぺと当社のハンバーガーやヤキソバなど、レンジで温めて食べていただいた五十人の覆面リサーチの結果、七割は田舎っぺのが美味しいといい、値段をいうと、三人をのぞいて田舎っぺで買うという結果でした。これは一回だけでなく、夏から現在まで三回実施しました」
 これには社長だけでなく、役員全員が驚きの色を隠せなかった。
「で、買収というと、どういうふうにするつもりだね」
 ワンダラーの日本支社長は日本人であり、味覚にはうるさいほうだった。その彼は田舎っぺに出向いて実際に食べたこともあり、実情を知っていた。
この日、青木の議題は可決された。
 
十二月半ば。
青木は雪の舞う風越駅に降り立った。寒々としたなか彼は風越荘に向かって歩いた。門のそばに行くと、人が出てきた。
梶山は目の前にいる男にはっとしたが、後ろにいる人物を見て、おやっと思った。
「吉村じゃないのか?」
 白い上下に半纏をまとってはいるが、顔は間違いなくかつての上司梶山だった。
「こんなところでどうしたんだ」
「梶山さんこそ、そんな格好して・・・」
「俺は板前になったんだ」
「そうですか。小料理屋でもやりたいっていってましたっけ」
「あー。そうだったな。それよりここに何か用か」
「村井さんっていう人がここにいるはずなんだけど・・・」
 青木は二人の様子を雪の中で見ている。
「ちょっと待ってろ」
 焼鳥の食材が足りなくなり、梶山は田舎っぺに調達しに行くところだった。だが、懐かしい後輩と出くわし、忘年会をしている春樹のところに戻った。来客の旨を告げると、春樹はここへ通せという。
 青木と吉村が門をくぐり玄関に近づくに連れ、三味線に合わせた唄声が聞こえてくる。
 三千世界の烏を・・・
 梶山が襖を開ければ、着物姿の妙齢の女が弾く三味線に合わせたしゃがれた節回しの唄声が止まった。
「お楽しみのところお邪魔して申し訳ございません」
「いいから、こっちへきて下さい。その代わり、話は手短にお願いしますよ」
 こんなところで話などできるかと思うものの、青木と吉村は仕方なく村井の前に座った。
「ご無沙汰してます」
「会社をワンダラーに変えたのかい」
「はい。そりゃいい。あんな碌でもない食材持たせるような会社じゃ、しょうがないしな。で、用件は」
 青木はどう切り出そうか迷っている。
「今日はうちの忘年会でね。どんな話だか知らないけど、ここにいる皆はうちの従業員だから、何の心配もいらない」
「では、単刀直入に申し上げます。田舎っぺ全店の権利を譲っていただきたい」
 襖が開けられたとき、万吉は見知らぬ男二人に歌声を止めた。三味線も止まり、由紀や美紗緒に加代も皆、彼らに視線を投げかけた。
 喜左衛門一同の者はえっという感じで当然だったが、浩二はそれ以上のものを腹に抱えた。
「権利なんてうちにはないですよ」
「いやいや。六百以上ものお店を出されているじゃないですか」
「梶さん。客人にも何か飲むように持ってきてやったらいい。難い話を柔らかくするにゃ、酒がいちばんじゃ」
 万吉はそういって立ち上がると、門かぶりの松に積もる雪を見ながら静かに唄いだした。
「恋に 焦がれて 啼く蝉よりも 啼かぬぅ 蛍が身を焦がすぅーっと。・・・、恋も商いも同じだなぁ。売るぞ売るぞって頑張る奴がいれば、己の身を焦がしながら、静かにやってる者がおる。生き馬の目を抜くワンダラーさんとやら。そうは思わんかね・・・」
 青木は春樹から注がれた猪口を持ったまま、万吉の横顔を見ていた。
「わしが喜左衛門を始めたときにゃ、この風越のもんは外食なんてせなんだ。それでも、わしゃ、倅夫婦を事故で亡くした矢先で、残った孫の春樹を背負いながら、歯を喰いしばって美味いそばを作ろうと辛抱したもんじゃ。蕎麦だけじゃやっていけんし、金物やら縄をなって草鞋を売ったりしながらな。でもな、それは必要以上に儲けるためじゃのぅて、生きて行く算段のためだ。そういうわしの心を知ってか、春樹も田舎っぺの店からは権利金などとりゃしない。売った物だけが儲けじゃ」
 皆は万吉から春樹に視線を変えた。その春樹は上を向きながら、黙っている。
「あんたらが、どういう料簡で田舎っぺを買い取りたいんだか知らんが、春樹はどうするんじゃ」
「俺は・・・、権利なんて何も持ってない」
「そうだ。田舎っぺは、ワンダラーなんかみたいに、俺を騙すようなことなんかしない」
 我慢しきれなくなった浩二がいった。その彼に、青木が目を向けた。
「あんたはマニュアルどおりやれば、絶対に儲かるっていったはずだ」
 浩二はそういうと唇を震わせた。
「それは・・・」
「言い訳なんか聞きたかぁない。俺たちは死のうかってまで思ったんだぞ。女房は逃げたし。責任取れるか!」
「もういい。お前の気持ちは俺がよく知ってる」
 春樹が浩二をなだめるようにいう。
「手紙がきたときワンダラーさんは、うちにいい食材を卸してくれるのかと思ってたら、とんでもない展開に吃驚だ」
 春樹は皮肉をこめてそういい、隣の景子にビールを注げとばかりに膝で彼女に催促した。注がれたビールを飲み干し、ゆっくりと青木に顔を向けた。
「さっきもいったように、田舎っぺの権利は遠海の店だけで、他の店はその店主が権利を持ってる。それを俺が売ることなんてできない。分かったら、帰ってくれないか」
「いや。そこを何とか、お願いします。二億で何とか・・・」
 青木はそういうとひれ伏した。
「二億?」
「はい。それで何とかお願いします」
「六百で割ったら一軒あたり三十万ちょい。その金で、皆が納得するとでも思ってるのか?」
「では、いくらなら」
「一軒あたり、最低でも一千万出さないと納得しないだろうな」
 六十億などとても出せる額ではないと、青木は頭を振ったがすぐに畳に額をこすり付けた。
「青木さん。あんたが田舎っぺのオーナーだとして、三十万ぐらいでどうする?場合によっちゃ、せっかく開いた店をたたまなきゃならない」
「ワンダラーなんかのいうとおりやってた日にゃ、三十万なんてあっという間になくならぁ。百万の売上げで四十万持っていくところだからな」
「そうだったな。ロイヤリティーは四十パーセントだった。一千万じゃ、三年でぱーか」
「もうそのへんにしてやれ。あんたらも、さー。帰ったほうがえーって」
 万吉がキセルを叩いていった。 
「吉村とかいったな。あんたも、もう少し見る目持たないと、駄目だな」
 会社に戻ってどんな顔で社長に会えばいいのか。自分で持ち出した話だけに、青木の顔色が悪い。
「よぅし。かっぽれでもやるか」
 万吉の声に三味線が威勢よく鳴り出し、青木と吉村はいる場所を失った。
 
 正月元旦に景子が四つ子を生んだ。それには春樹が驚くやら相好を崩すやらで、凄いはしゃぎぶりだった。
「知ってたんだろう?」
「ごめんなさい。吃驚させようと思って、黙ってたの」
「ずるい奴だな。爺ちゃんにいったら、倒れちゃうよ」
 春樹の喜びように景子は、好きな人の子を産めたことに涙が出てしかたなかった。
「何、泣いてんだよ」
「うーん。嬉しいだけ。お爺ちゃんには長生きしてもらわないと」
 春樹は万吉に、いっきに四人も曾孫ができたといった。
「えー。そりゃ、春から縁起がいー。でも、大変だ」
「どうして」
「だって、おめぇ。どうやって子守りすんだ。うちにゃ女はいねぇしよ」
「何いってんだ。落ち着くまではこっちにいるんだから」
「それにしたって、四人もいたんじゃ、車に乗せるったってどうする気だ」
 そういわれればそうだと、春樹ははてなと考え込んでしまう。
「聞いてるか?」
「参ったなー。チャイルドシート四つも車につけられんのかな」
「おめぇーが助平だからこんなことになったんだ。てめぇーで考えろ」
 万吉はそういって電話をきるが、嬉しくてしょうがない。美穂の祖母瀧を始め、知り合いのところへ片っ端から電話をかけまくった。
 
 波流美は一日二組限定にしようといい梶山はそれに賛成したが、春樹はどうせ改装するなら金のことは心配しないで全部やれといった。そのおかげで以前は五室だけだったが、全部で七室になった。一階は十人が一度には入れる大浴場と家族風呂。二十畳の大広間は昼の食事客や宴会用。そして、一人客も泊まれる六畳が二間。二階は十二畳が三室と十畳が二室だった。それがクリスマスからずーっと満室状態で、大晦日は寝ずに新年を迎えた。
梶山も波流美も疲れはなかった。
「少しは休んだほうがいい。何かあれば私達がやるし」
 風越荘の以前の主だった秀治夫婦は客が出払った後、梶山夫婦と御節を食べながらそういった。
 物静かな秀治は目を細め、それにしてもあんたはいい旦那と一緒になったねと波流美にいう。
「働き者で料理はめっぽう美味い」
「いい旦那さんでしょう」
 波流美は夫の顔を見ながらにやけていう。
「ああ、三国一の花婿だ。何が縁だか知らないけどここに住みついてから、もう、三年になるのかな・・・?駅前を毎日掃除してる。若いのに、そういう心がけはなかなかできるもんじゃないのに」
 梶山は喜左衛門で働くようになり、一人でも早く客の顔を覚えたるため、駅前の掃除を始めたのだった。誰彼なく、会う者におはようございますといいながら、花壇の手入れをしたりその脇の祠の地蔵さんの花を取り替えた。そういう彼は、日毎に地元住民と同化していった。
「そうですよ。梶山さんは偉いわ。お正月早々こんなこというのもあれなんだけど、よくもまぁ生まれ変わったって、皆感心てるもの」
 梶山は頭をかきながら照れてる。
「自分自身、そう思います。修行僧じゃないけど、煩悩を払ってきました。物事に執着することなく、生きることは何かって、それだけを考えてきました」
「きっと、村井さんに影響されたんじゃない」
「あの人も今じゃ、遠海だけじゃなくかなり有名になってしまった。万吉さん自体が仏のような人柄だから、あのお孫さんにもその血が流れてるんだろうね」
 外は抜けるような青空で雲ひとつなく、風もない穏やかな日和だった。
「お屠蘇がきいて眠くなってきた」
「それはすまない。さ、早く休んだらいい」
 梶山夫婦は昼前ようやく床に入った。
 布団をかぶったかと思うと、あっという間に寝息をたてる梶山に、波流美は幸せだと思った。
 
 浩二は由紀の温もりを感じながら眠りに落ちたところだった。
 その彼から離れて布団をかけなおした由紀は、ガウンを羽織ると鏡で髪を梳かした。
 四十を過ぎたとはいえ肌の艶はよく、銀座や赤坂で男を手玉にとってきた女としての魅力は十分残っている。
その彼女にしたら、十歳年下の浩二は弟のように思えたが、この一年見てきた彼の生き様に男を感じていた。
忘年会の騒動では涙を流しながら、ワンダラーの幹部に食って掛かった。
見ようによっては女々しいだろうが、有り金をはたいて人生を賭けた挙句女房に逃げられ、心中まで考えた者なら当然のことだろう。喜左衛門ではいい加減だったらしいが、彼女の知る彼は商売熱心な若者だった。その男と懇ろになったことにこれといった感慨はないが、彼が拠りどころになってるのは間違いなかった。
お雑煮作ってあげるから、ゆっくり寝てなさい。
浩二の寝顔に由紀はそう呟きながら部屋を出た。
 
景子は父が運転するワゴン車で風越に戻ってきた。
春樹は義父の手を取り、お疲れ様でしたといった。
「大袈裟だな、君は。俺より、娘の手を取りたいんだろう」
 万吉がまったくだと高らかに笑う。
四人の子供たちは二人用の乳母車に乗せられ喜左衛門に入った。生まれてまだ二ヵ月だが目はぱっちりと開き、万吉や美紗緒らを見てはきょろきょろしてる。
「人見知りせなんで、いい子だのぅ」
 万吉はかわるがわるに四人の頬を撫でた。
「上條さん。ま、上がってゆっくりしてって下され」
 万吉に促され上條は座敷で足を伸ばした。
「塩尻と違ってここはかなりの雪ですね。たった二時間ばかりの距離だっていうのに。でも、自然が残ってていいところです」
「ここもだいぶ変わってきているんだが、余所からきた者には分からんだろう」
 万吉は熱燗を勧めながらいう。
「街中に行けば都会とあまり変わらんけど、ここはまだ人情がある。皆知ったもんばかりでな」
「それはいいですね。うちのほうも昔はそうでしたが、今は建売住宅なんかができたりで、だいぶ様変わりしてきました。変わったといえば、あっちこっちでワンダラーが店仕舞いしてます。買収騒ぎがマスコミに漏れて、そのせいかも知れません」
「うん。自分さえよけりゃいいっていう商いじゃ、所詮行き詰るもんかも知れん。日本にコンビニは五万もあるという。その元締めはほんの一握りで、奴らは必死にあの手この手で売らんが為の商売を考えてるのぅ。じゃが、人が欲しがってる物っちゅうのはあいつらが考えてるのとは違う気がしてな。それを知ってる者が、田舎っぺに共感してくれてるんと違うかな」
「そうですね。コンビニ業者だけじゃなく専門的なところは昔からですが、卵なんて黄身と白身を分けて販売してるんです。厚焼きを作るのに何個かの卵を殻を割って作るのと、白身が多いのとではふんわり感が違うっていうけど、それなら自分のところで割ってから分量を調合すればいいって思うんですよ。そういうやり方って、確かに合理的だけど、なんか腑に落ちない」
「卵なんてもんは、熱い飯にかけて食うのがいちばんなのにのぅ。そんなもんじゃ、気持ち悪ぅて食えんわい。うちで取引してるところは皆放し飼いだから、黄身なんて橋で持ち上がるんじゃ」
「便利さと合理性ばかり追求してると、人間の身体にもよくないし」
「お義父さん。俺は商売の鉄則は無駄を省くのが五割で、残りの五割は浪花節だと思ってます」
 春樹が自分で焼いた焼鳥を持ってきていった。
「浪花節か・・・」
「それでお前、浩二を助けてやったのか」
「爺ちゃんだって五十万もやったじゃないか」
「そりゃお前、心中するしきゃないっていう奴を、無碍に帰すわけにいかんだろうって」
 娘が初めて結婚したいと連れてきた春樹を見て、景子の父は年の差を気にした。だが、人の良さが顔に出てるのを見て、それならと嫁がせた。その祖父の万吉はべらんめー調のところはあるが、酒の強い好々爺だった。テカテカに禿げた頭はまさに強面だが、外見だけで人は分からぬものだと思わされる人物だった。
「今日はゆっくり飲み明かそうや」
 万吉はそういって熱燗を注いだ。
 
 美紗緒に勧められるまま見合いをした加代は、その男と見返り桜に行った。
 足の踏み場もないほど人でにぎわってる。そこから少し離れたところでは浩二だけでなく、何台かの移動販売車がいろんなものを売っていた。
「あそこの鶏そば美味しいけど、行ってみない」
婚約者の男は加代に手を引かれた。
「お!いい女がきた」
「村井さん」
「結婚するんですって。おめでとうございます」
 景子は四人の子供をあやしていたが、二人に微笑みながら挨拶した。
「有難うございます。皆そっくり。村井さん」
「なんだ」
「誰でもいいから、一人ちょうだいよ」
「ばーか。自分たちで楽しんでつくれ」
 皆が笑った。
 春樹はねじり鉢巻で焼鳥や椎茸。それにヤキソバなど調理しながら声を張り上げている。
「風越名物。喜左衛門の焼鳥。日本人なら一本といわず二本。日本人じゃない人は何本でも買って結構。早い者勝ちなんていわない。売るほどあるんだぁ。さぁさ、いらっしゃい」
 威勢のいい呼びかけに並んでる者はくすりと笑ってる。
 その声に四人の子供はにこにこ笑いながら玩具をふってる。
 
 風越峠。
 山梨と長野両県を分ける標高千五百メートルの峠。
 甲州からは信州に米を求め、信州からは北前舟から上がった海産物を求め合った。それぞれが物々交換のために往来がかなりあったというが、今では花見とパラグライダーなどを楽しむ者がくるぐらいで、甲州街道の脇往還としては淋しい限りの様相を呈している。
峠の周囲は勾配のきつい坂道だが、峠自体はなだらかで広い。
花見でににぎわう見返り桜は幹周りは優に五メートルを超え、その枝ぶりは直径十五メートルほどの老木。
見返り桜については「桜の木の下」でというサイトを参照されたし。
 
梶山は喜左衛門のブログは春樹に任せ、風越荘のブログを新たに立ち上げていた。そのおかげがどうか泊り客だけでなく、食事だけのための訪問客も増えている。何もない風越だが、それがいいという自然愛好者は多い。
それとは別に、三年目に突入したブログ「桜の木の下で」。
彼は結婚して思いどおりにできる波流美と念願を果たすため、見返り桜の木の下で彼女をを抱いてきたばかりだった。「街角の見返り美人」というブログに書かれていたことを実践したくてだった。
 
いろんな紆余曲折があり、この風越で三年がすぎた。
好きな女性を見返り桜の下ではなかったけど、とにかくその近くで抱いた。
「街角の見返り美人」のような感覚はなかった。
それから三年後の今日。
私はその彼女とは既に結婚しているが、見返り桜の下で抱いた。
いつもと変わらぬ感覚だけで、あのブログのようなオルガスムすなど体感できなった。
花がかなり散っていたせいだろうか?来年は満開の桜のこの下で挑んでみようかと彼女にいえば、そんなことどうでもいいといわれてしまった。
浅はかな自分に笑ってしまった。
今はそんなことより、仕事に精を出そうと思ってる。
早く、子供がほしい。
生きることの喜びを、生まれてくる子供たちに教えたい。
 
ワンダラーが地方の店舗を大規模に統廃合するというニュースを、春樹はネットで知った。
弟分の浩二の仇を取るつもりだったのが、いつの間にか自分の思惑以上に事が進み彼自身吃驚している。
「野瀬」
「え?」
「田舎っぺを管理しようなんて思うなよ」
「分かってるって。七百店に卸す日用雑貨品だけで、十分に儲かってる。それ以上ピンハネしたら泥棒だよ」
 田舎っぺ本部にはバッタ屋から、あらゆる商材の売込みが日夜入っている。そのめぼしい物を仕入れては各店舗の需要に応じて卸した。それも低い掛け率だから、店主は喜んで仕入れた。
「やっぱり作りたての物は美味いな」
「そうだろう」
 野瀬は筍のホイル焼きをつまんでいった。
「掘りたてを焼けばもっと香ばしいんだぜ」
「どうぞ」
「奥さんも四人の子育ては大変でしょう」
 野瀬は一回り以上年下の美人妻の景子に酌をされた。
「もう一人、大きな子供もいるし」
「なにいってんだ。お前は。子供たちは寝たのか?」
「はい。お爺ちゃんと一緒に」
「そうか。じゃ、俺も風呂に入って寝るか」
 春樹は野瀬にそういい、風呂に入った。そして、久しぶりにブログの更新を始めた。
 
 見返り桜は葉桜になった。
 花見客もいなくなり、私はある女性とその木の下でセックスをした。
 夜明け前の闇からだんだん変わる空の色を感じながら抱いていると、それだけで快感がある。人がくるのではないかというスリルがあるから、なおさらなのかも知れない。ホテルや家で抱く感覚とまったく違う感じに、痺れるようななんともいえない快感。見返り桜の木の下でのセックスは、相変わらず私にオルガスムスのような永い快感を味わさせてくれた。
これは私だけだろうか?
「桜の木の下で」の管理人さん。自殺未遂から立ち直ってよかった。
三年間はあっという間だったのではないでしょうか?
良妻賢母を見つけた今、これからも益々頑張ってほしいものです。
このブログは、これで閉鎖します。
 
春樹はブログで梶山にエールを振った。
梶山は「街の見返り美人」の管理人が春樹だとは、どう考えても想像できなかった。だが、由紀や梢がいうように、春樹は猥談が好きだったし、アダルトサイトまがいのことで気を紛わしていたのかも知れないという想像はついた。
そんな春樹に命を助けてもらっただけでなく、人生まで切り開いてくれたことに感謝する梶山だった。
 
万吉は体調のいいときに昔のように歩いて峠に行きたいと思っていた。
景子が心配し携帯電話を持たせると、万吉は経木に包んだ結び飯と糠漬けをたすきがけにして歩き始めた。
鳥の囀りを聞いたり山野草を見やりながらの足取りは、昔に比べれば遅いものの確実な歩みだった。春の陽気といえども大気の澄んだ峠歩きは汗をかき、見覚えのある大きな岩に腰を下ろして腰手ぬぐいで身体を拭った。
昔はここで米を担いだ背負子をおろして休んだものだ。あのとき見た桜はとっくになくなってしまったが、その岩は昔のままだった。
朝七時に出た万吉は三キロの道のりを二時間あまりで登った。
四月下旬の峠からは南アルプス越しに富士山が見えた。遮るもののない視界には八ヶ岳も見え、万吉は若いときのことを思い出しながら結びを口にした。
交通事故で息子夫婦と孫一人をいっきに亡くし、残された春樹と途方にくれたとき。万吉は何も手につかず、春樹を負ぶっては峠を何回となく往復した。その春樹は仕事に追われ結婚もしないでどうなるかと思い苦しんだが、ようやく所帯を持ったと思ったら四つ子をもうけた。その嫁もいい女で、何の心配もない。
大八車に何俵もの炭を積んでは信州に下った。帰りは炭の何倍も重い米で、雨が降ったときのぬかるみに何度嵌ったことか。
そんな苦労も、万吉の顔にはかけらひとつなかった。
「どうですか?」
「いい気分じゃぁ」
「車で迎えに行きましょうか?」
「いや。せっかくじゃが、ゆっくり歩いて戻る。昔のことを色々思い出せるしのぅ」
「そうですか。車に気をつけてくださいね」
「有難うな。昼前には帰る」
 嫁との電話を終えた万吉は峠の景色を目に焼き付け、見返り桜をしばらく眺めてから下り始めた。
 
帰宅した万吉は嬉しそうに、景子が注いでくれたビールを飲みながら、誰彼なく店の者に峠のことを話した。そして、疲れたといって曾孫たちと床に就いた。
景子が子供の泣き声で万吉の部屋に行った。
甲高い泣き声に起きようともしない万吉は、恵比寿さんをほっそりさせたよう寝顔だった。
享年八十二歳の万吉の寝顔は、陽光で神々しく輝いていた。
 
                       完
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