4 それぞれの夏
山から下りた春樹はノートパソコンを持参して、潤に撮影した山の写真を見せていた。
潤は春樹のブログの投稿記事をまじまじと見ている。
そんな彼女の背後から乳房をもみしだく春樹。
「もぅ。おいたしないの」
「そんなこというと、他の女のところに行っちゃうぞ」
相変わらず強引な春樹は潤のタンクトップを乱暴に脱がし、ブラジャーをまくりあげた。潤の小さな乳首を舐めながら、何故か由紀の顔を思い出す春樹だった。
潤にとっての春樹は金離れのいい年上の男で、子供っぽいところが憎めないセックスフレンドでもあった。内面的に好きになれるかと聞かれれば、なんともいえないのが本音だ。ただ、一緒にいて退屈しないし、何か新しいことを彼から発見できるのが、唯一付き合ってる理由かも知れない。
「ブログ、だいぶ前からやってるんだね」
「暇なときにちょっとやりだしたら、俺みたいなのが結構見に来てくれるしな」
春樹のブログの記事内容は世間に対する不平不満をだらだらつづっているのがほとんどだが、それに共感する者が多いのか、コメントがかなり寄せられている。どれもが2チャンネルなどの掲示板でよく見受けられる意味不明な絵文字を多用し、まともな文法など無視したものだった。
それでも春樹はアクセスが増えるに連れ、多い日には3回も投稿したり、彼自身そんなコメントに励まされているようだった。
特に今回は山へ行ってきたことで、手軽な山でバーベキューのオフ会をやろうといった希望が寄せられていた。
春樹はそんなことを話しながらも、手は潤の身体を熱くさせていた。
「ねー。電気消して」
「俺は暗いの駄目だ。怖くて。寝るときでも電気消さないし」
「おかしいの」
「俺は、どうせおかしなやつさ」
由乃は土日だけでなく月曜も休みを取るようにした。
春樹が入れてくれる金は毎月違うがそれでも最低10万以上だし、多い時は20万ちかいときもある。都営住宅で家賃は3万円ほどだし、食費といっても春樹の弁当の惣菜ぐらいで、由乃の収入だけでほとんどカバーできた。
由乃が休みを増やしたのは瀧子と温泉に付き合うこともあったが、それは月に1回ぐらいだった。あとは自分の体を養生させることが多かった。
70歳を目前にした由乃にとって、炎天下の庭掃除や階段のモップがけは厳しいものだった。
そしてもうひとつの理由として、自分史をブログとして発信したことがある。
パソコンの取り扱いやブログについては瀧子にひととおり教えてもらった。ノートパソコンは瀧子が使っていたお古をもらいそれを利用している。
「随分慣れたみたいね」
「瀧子さんのおかげだわ。有難うね」
「こんなことでお礼なんていわなくてもいいわよ。私なんて村井さんにはもっと大きいこと頼んだんだし。だから、こんなマンションにも住めたし」
瀧子は離婚が成立した時慰謝料として300万円を手にし、さらには毎月5万円の生活費を得ることになっていた。その上ロトで当てた4億円という莫大な賞金があるので、何の不自由もなかった。ただ、そういった金や暇はいくらあっても、満足感を味わえないことはある。
「お金があっても、淋しいものね」
「そうね・・・。ないのは困るけど、淋しいぐらいならなんとか我慢できるじゃない。瀧子さんは温泉が好きなんだから、あっちこっち行って羽を伸ばせるでしょう」
確かにそうだが、目的地へ行く新幹線や飛行機に1人で乗ってるときの退屈さといったら、惨めだとさえ感じることがある。ましてや宿で1人食事する時の味気なさといったら、寂寞感に苛まれてしょうがなかった。
「ねー。村井さん。1億あげるから、それで私と旅行して下さいよ」
「あらあら。何を馬鹿なこといいだすのよ。お金は大事にしないと。いくら宝くじで当てたからといって粗末にすると、罰があたるわよ」
「意地悪いわないで。本当に淋しくて、どうにかなりそうなのよ」
瀧子には兄がいたがすでに亡くなり、肉親は娘ひとりだけだったがその仲はあまりいいものではなかった。夫とも別れた今、何でも話せる村井由乃は格好の友人なのだ。
「また働けばいいじゃない。そうすれば暇を玩ぶこともないし、汗を流してこその温泉は最高だと思うわよ」
由乃の言い分はもっともだが、いまさら働くことなど毛頭ない瀧子だった。
「あなたはまだ60にもなってないし、まだこれから20年以上生きるのよ。今のまま何もしないでいると足腰も弱って動けなくなるし、せめて散歩ぐらいしたほうがいいわ」
「そうね。じゃ、これから歩いてこないだの懐石でも食べに行きますか」
あまり無碍にもできず、由乃は付き合うことにした。ブログのやり方がわからずに聞きに来たが、せっかくの休日を瀧子のために費やしてしまった。
自分が彼女の立場だったら、どうなるんだろうと考えさせられる1日でもあった。
潤は就職活動で大学のOBがいる会社訪問や就職説明会で忙しく、春樹の誘いを断ることが多くなっていた。たまに時間ができれば友人と飲みに行くこともあるが、だいたい9時前には帰宅していた。
「どう?決まりそうなところあるの?」
「あたしさー。センスないのかも」
潤はアニメ製作会社を主に希望しているが、競争率が激しい上勤務条件もよくない。そういうことで一般企業にも顔を出しているが、反応はあまり芳しくなかった。
「お母さんはどんな会社にいたの?」
「お母さんは普通の事務よ。残業もほとんどなくて、お給料もそこそこで楽だったわ。潤みたいに自分の好きなことを仕事にするのって、夢が叶うかもしれないけど。叶わないときは何をしてるんだろうって考えちゃうんじゃない?そういうふうになるの、お母さんは嫌だったから一般事務を選んだのよ」
「そっかー。イラストたって、あたしぐらいのスキルじゃ使いもんにならんねー」
「あなたの夢をあきらめないでって歌もあるし、頑張ってみれば。お母さんたちとは時代も違うんだから」
短大とか専門学校でイラストを専攻ではなく、美大のデザイン科というのがネックになっていた。あくまでデザインの一環としてイラストを描くだけだろうというのが、企業側が潤を採用しない最大の理由だった。それならデザインを活かせる企業があるかといえば、潤自身が悟っているように、彼女のセンスが通用するところはなさそうだった。
「あたし、ペンキ屋と結婚でもしちゃおうかな」
「やめてよ。ペンキ屋なんて柄の悪い人と付き合うのは」
「柄は悪いけど、面白いんだー。絵を描くかと思えば写真を撮ったり。こないだなんか槍ヶ岳っていう山に登ってきたって自慢してたよ。3000m以上あんだって。あたしなんて、箱根の金太郎山しか登ったことないし」
「山なんて登らなくていいの。女の子なんだから」
「汗かいてひーひーいいながら登った頂上で飲むビールは、冷えてなくても最高だっていってたよ。このビールは冷えてても美味しいって感じないしね」
冷房の利いたリビングのソファーで足を投げ出している潤。風呂上りだがビールが美味いと感じないのは、就職活動がうまくいってないせいなのかも知れない。
春樹に思いっきり抱かれ汗まみれになった後に飲む、ビールの爽快感を懐かしく思う潤だった。
槍ヶ岳に1人で登った自信が春樹をさらに山へ惹きつけているようで、彼は沢登りにも行くようになった。奥多摩の大常木沢で味をしめると、東沢渓谷から甲武信岳の登攀も難なくこなした。身体が身軽なのかも知れない。
春樹は今までのブログを閉鎖し、新たに「マウントハイカー」という山のブログを立ち上げた。
山行の様子を詳細に綴ったもので、写真も大きめのものを挿入した。根が器用なのか、画像処理用のソフトで綺麗に仕上げた写真にコメントがちらほら寄せられている。
暇つぶしでやっていたおちゃらけのブログとは違う。ましてや山を対象にしているので、訪問者のコメントは真面目な内容がほとんどだった。コメントするにも気遣う春樹だった。
由乃は相変わらず瀧子にせっつかれているが、自分のペースを乱さない程度に付き合っていた。
盆休みには、湯治をかねて東北の温泉に行ってきた。
山深い宿は盆休みだというのに日帰りの地元客だけで混雑することもなく、由乃は瀧子と起きては食べ、温泉に入っては休むという長閑な日々を満喫してきた。
70歳になっても働くというのは普通の主婦では少ないのかどうか?
そんなことは由乃にはどうでもよく、働けるうちは働くのだという気概をブログに投稿していた。
2DKの薄暗い都営住宅の間取りの中で、春樹と由乃がそれぞれキーボードとマウスを操作するかすかな音以外には、古くなったエアコンが時たま唸るぐらいだった。
外ではコオロギの啼き音が響くが、2人には聞こえているだろうか・・・。
長田由紀は酔客の執拗な誘いにキレ、アルバイトを首になった。
それでも好きなことをやりたいという強い意志は、彼女をネオンの街に駆り出させた。紫煙が舞う中、馬鹿話に適当に合い槌を打つのは慣れているが、助平心丸出しの客には手を焼かされることしばしばだった。
32歳の夏は、由紀にとってあまりいいものでないまま終わりそうだった。