空想は小説より奇なり

自作小説の連載です 立ち読み大歓迎です
その気になれば細分化も可能
6 旅路
 
 仕事を辞めたというのに波流美の心は和んでいる。
 長距離列車に久しぶりに乗って旅に出てるような気分になっているからなのか、自分自身でも分からないが、車窓を見てるだけで気分が和らぐ。
都心のビル街が遠のいて民家が多くなり、それがやがては山の景色へと変わっていく。特急列車から各駅停車に乗り換え、そして、何度目かの民家が沿線に見え隠れしはじめた時、波流美は風越のホームに降り立った。
 
遂に来てしまった。
 
波流美はデイパックを肩にしばし町を見下ろしていたが、ファーストフード店で熱いコーヒーを飲み、そしてコンビニで耳あてを買い込んで喜左衛門に向かった。
そんな彼女に最初に気付いたのは春樹だった。
「あ、珍しい」
「こんにちは。ご無沙汰してます」
「梶さん、奥にいますよ」
 梶山は万吉に蕎麦の打ち方を教わっているところだった。
「お。別嬪さんのお出ましだ。ちょうどいい。あんたが打った蕎麦を食べさせてみりゃぁ」
「どうしたの?急に」
 波流美は遊びに来たといった。
 梶山は蕎麦の修行の成果はどうかと、波流美がひとくちすすっただけで聞いた。
「美味しい。出汁もいいし」
「他には?」
 波流美は蕎麦通でもないのでどう答えていいか分からないので、ありきたりのことしかいえなかった。
「喉越しはどう?」
「食べてるのに、そんな矢継ぎ早に聞いてどうするんだい?ま、ゆっくり食べ終わってからにするこった」
 万吉はそういうと加代と美紗緒に奥へ行くように目配せした。
「蕎麦って、難しくてね」
 梶山はねじり鉢巻をしていた手ぬぐいで、顔や首筋の汗を拭きながらいった。
 一年前に自殺を計った男が今ではそんなことがなかったかのように、それどころか、一人前の板前のような感じに見えた。
「仕事に燃えてるって感じ。私なんて、辞めてきちゃった」
 梶山はそうかと頷くが、それ以上のことを聞かなかった。
「いつまでいるの?」
「まだはっきり決めてないの。のんびりしたいっていう気もあるし」
「今まで仕事頑張ってきたんだし、ゆっくりすればいいさ」
「梶山さんは、張り切ってるね」
 四月から井戸屋の跡地で喜左衛門の姉妹店をオープンさせるので、これから忙しくなると梶山がいった。
「万吉さんもそろそろ引退しようかっていうし。それで今特訓受けてる」
「大変ね」
「俺はいわれたことやってるだけだけど」
「でも、前にくらべたら活き活きしてるし」
「そうかな・・・」
「うん」
 春樹は車から降ろした弁当箱を洗うように美紗緒にいい、梶山と波流美のところに歩み寄った。
「梶さんの蕎麦はどうだった?お客さんに出しても平気?」
「はい。これで二百五十円なんて、やっていけるんですか?」
「山菜はそこらじゅうにあるし。蕎麦は爺ちゃんが栽培してるからね」
「東京で二百五十円っていったら、立ち食いのかけ蕎麦の値段なのに」
「安くて美味い。それが喜左衛門の売りだから。それより、今日は泊まるんでしょう。梶さんと一緒に隣町の温泉でも行けばいいのに。梶さんもいつまでもそんな格好してないで着替えなよ」
「そんな・・・。まだお仕事してるのにそんなことされたら、私が困ります」
「いいっていいって」
「いーえ。私は急ぐことないし、よかったら手伝いますから」
「え?そんなことさせられないって」
「梶山さんの仕事ぶり、見たいし」
「そういうことか」
 春樹は気の利かない自分を嘲笑した。
テレビでニュースが始まると、ワンダラーが不採算部門のファミリーレストランを統廃合すると報じている。
「ファミレスも過当競争で大変だ。それに比べたら、喜左衛門は独占企業だもんな」
「何いってんだか。ここは他に店がないだけで、駅に行けばあるでしょ」
「そりゃそうだがな」
 葛谷は煮込みを肴に熱燗を飲んでる。
「ハラミ焼いてもらうか」
「肉ばかり食べないで、野菜も食べなよ」
「客に逆らうのか」
「もう酔っ払ってやがる」
 万吉は二階から降りてくると、葛谷の頭を後ろから小突きながらいった。
「春樹。肉は肉でもニンニクにしてやれ」
「はいよー」
「ニンニクでも食って、たまには女房と仲良くするこった」
「あんな古女房なんぞ、面も見たかねぃや。そこの若いねーちゃんなら毎晩可愛がるけどな」
「阿保んだら。若い娘さんに何てこというんだ」
 その若い娘とは波流美のことで、彼女はすることもなく梶山のそばで彼の包丁捌きを見ていた。
 加代は翌朝の仕込みでパン生地を煉り始めた。
「パンも自家製なの?」
「そうです」
「加代ちゃんの煉ったパンが美味いんだ」
「あら。お世辞なんていいのに。あ、卵割りすぎたかな?」
 そういってる合間にも客がチラホラ入ってきて、波流美は注文を聞いたりその品を運んだりした。そして、手のあいたときは加代が余らした卵でプリンを焼いた。
「へー。プリンなんて何年ぶりかな」
 春樹は嬉しそうにスプーンを口に入れた。
「いい味してる」
「有難うございます」
「本当。白身も混ざってるのに」
「こりゃいいな。春樹。年寄り連中にも食わしてやれや」
「そうだな。加代ちゃんに教えてやってもらえますか」
 加代はノートに波流美のいうレシピを書き留めた。
「ここにいる間は私が作りましょうか?いつまでいるか分からないけど」
「どうせなら、ここにおりゃいいのに」
 万吉は食べて空になった器をスプーンで綺麗にさらいながらいう。
「そうすりゃ梶さんだって嬉しいだろうし」
 梶山は波流美の顔を見るが、何もいわない。
「ここで働かせてもらえるなら残ってもいいけど・・・」
「渡りに船だ」
 春樹が手を打っていった。
「大歓迎ですよ。酔っ払いもたまにはいるけど、爺ちゃんと梶さんがいるし。ね、梶さん。残ってもらっていいよね」
「俺はいいけど、本当にここで働くの?朝は早いし、夜だってこの時間までやるって大変だよ」
「私、派遣で仕事してて感じたことがあるの。このまま続けても正社員にはなれないし、なったとしてもいずれは結婚して辞める時がくるでしょう。それに、企業の歯車になって、目上の人に色々と指示するのって、疲れるなって感じてたし。っていうより、私。この人たちの人生を自分が握ってるのかと思うと、凄く責任感じて嫌だったの。それは目上とか下とか関係ないんだけど。でも、そういう人たちがミスをしてもきちんと対処していくっていうことは、自分には荷が重いなって。それより、直接人から喜んでもらえることをしたいって考えてたの。久しぶりに梶山さん見たら、凄く情熱持ってるなって思ったし。私も、そういうふうになりたいって」
「男の人の働く姿って、じーんときますからね」
 加代は波流美に頷くようにいった。
「ま、うちはたいした店じゃないけど、波流美さんがいたいだけいればいい」
 加代から自分の家でしばらくいればといわれたが、波流美は駅前の木賃宿で荷を解いた。風呂に入りこれまでのことを振り返るが、それよりも、明日はどんな日になるのか。そう思うものの、決して不安はなかった。
 
 波流美が喜左衛門を手伝うようになると、加代は何かと彼女に話した。それは加代自身が春樹との一件でいっとき気まずくなったこともあり、彼女にしては気持ちのきりかえを計れたからだった。波流美にしても梶山とばかり話すのは気がひけるところもあり、加代の存在は有難く思えた。
「プリンだけじゃなく他にもスイーツ作れるんでしょう」
「スフレとかチーズケーキとかなら」
「だったら春樹さんにいってみるといいわ。春になると凄く忙しくなるし、それまで、名物になるようなもの作れたらいいし」
 加代はコンビニの井戸屋にいたことで、プリンやクレープなど甘い物が売れることを知っていた。それを喜左衛門でも販売したらどうかと思っていたところに波流美が現れ、加代は助っ人を得た感じだった。それで自宅に夕飯の招待をしたり、何かと波流美と一緒にいる時間が多い。
 梶山はそんな波流美と二人きりの時間を持てなかったが、別に不満もなかった。春樹が芳江と打ち合わせをしたりで店を留守にすることも多くなり、その分梶山が忙しくなり、波流美の相手をする余裕もないからだった。
 
 井戸屋は三月で契約満了なので、花見時に間に合うように店内の改装をするための手筈を整えたが、半月ほどで開店できるか不安だった。波流美が梶山と結婚して残ってくれるならそれに越したことはないが、春樹が彼にそのことを聞けば今はそれどころではないという。
「前に、ここに来ないかって彼女にいったことはあるけど、いきなり彼女がここに来たのはびっくりしてるし。でも、詳しいことは聞いてないんですよ。こないだ彼女がいってたように、派遣会社で責任を持たされる立場になって、人材管理っていうか、そういうのが重荷になったっていうのは間違いないんじゃないかな。仕事で誰かがミスしたらそれを対処しなきゃいけない。若い連中なら注意されても気に食わなきゃ、じゃ、辞めるってこともできるけど、50代ともなればそうもいかないでしょう。そういうことが、彼女の重荷になって辞めたんじゃないかな。二十五でそんなことを任せる会社もおかしいと思うけど、現実はそうだし」
 そういいながら梶山は春樹にビールを注いだ。
「梶さん。あんたが仕事に打ち込んでくれるのは有難いんだけど、今は彼女を受け止めなきゃいけない大事な時じゃないのかな。彼女とよく話したほうがいいと思うよ。明日は休みだし、今後どうするのか。ゆっくり話してみなよ」
 
 波流美は春樹と一緒に温泉に行き、大広間でビールを飲んでる。
「こんなに空いてる温泉なんて初めて。お風呂も広くていいし、最高ね。梶山さんは休みの時はいつもここに来られていいじゃない」
「君だって来ようと思えばいつだって来られるじゃないか。っていうより、どうする気なのかな・・・」
「どうするって?」
 波流美は煮込みをつまみながら美味そうにビールを飲んでいる。
 東京にいた時に温泉へ行くとなればほとんどが泊りがけだった。それがここなら電車に乗ってわずか十分ほどでこんなにゆったりした気分になれ、昼前にはのんびりと湯に浸かってビールを飲めることに、波流美はいい意味でショックを受けているのだ。
「東京じゃこんなことできなかったし、本当にここにいたいなって思う」
「はっきり聞くけど、俺のことはどう思ってるのかな」
「というより、梶山さんは私のことをどうしたい訳?」
「結婚したいって思ってる」
 梶山は波流美の眼を見ながらいった。
 
 梶山のことをどれほど知ってるのか?波流美自身分からない。
 仕事を辞めた時はそれを知りたいこともあったし、気分転換で旅行したいこともあって風越に来た。それがひょんなことから喜左衛門で働くことになり、派遣会社にいた時とは違う毎日にほっとしてる波流美だった。
 梶山から恋心を打ち明けられたことも何度かあるので、結婚といわれて驚くこともなかった。だが、このまま早急に結婚したいとは思えない。
 
「結婚はもう少し考えさせてほしいのね。梶山さんだって新しいお店が開店したら春樹さんがそっちへ行って大変だろうし、今は結婚どころじゃないでしょう」
 万吉がいるものの、実際には梶山が細かなことまでやることになり、実質彼が店を取り仕切ることになるのは間違いなかった。それは春樹からもいわれてたし、万吉からも任せるから頼むといわれていた。だからこそ、波流美が心の支えになってくれればという思いがある梶山だった。その反面、独りでもいいという気もあった。
「そうか。それはそれでいい。でも、喜左衛門にはずっといる気?」
「東京に戻っても何かしたいことがある訳じゃないし、ここにいたいって思ってる」
「じゃ、村井さんに君がこのまま残るっていってもいいんだね」
「でも、それは帰ったら私が直接いうわ。自分のことだし」
 その後は以前いた時の会社の同僚のことを話す二人だったが、お互いの今後のことについてはあまり触れることはなかった。梶山自身結婚はまだ先でもいいと思ってたし、これから任されるだろう喜左衛門で、思う存分腕を振るいたいと武者震いしてるのだ。
 夕方の四時ともなれば日はとっぷり暮れる盆地だったが、三月になった今は日がかなり高くなっていた。
「帰ろうか?」
「せっかくのお休みだし、何か美味しい物でも食べて、その後は久しぶりに・・・」
 波流美が何をいおうとしているのか梶山には分かっていた。
 梶山は馬刺しの美味い店に波流美を連れて行った。その後は彼女の気持ちに応えた。否、それは彼女だけでなく、梶山自身の欲望をも充たしたのかも知れない。
 帰りの電車内で波流美は梶山に寄り添って目を閉じていた。
 そんな二人は恋人同士に見えるが、それは傍目が思うことだけなのかも知れない。梶山は今が転機だと、波流美は新たな生活を楽しみたいと思っているのだ。だが、そんな二人が平行線を辿ろうとしてるとは思えない。なぜなら、肌を合わせたばかりなのだから・・・。
 梶山はこのまま列車に揺られながらどこかへ行ってみたいと思いながら、波流美の手をとってホームに降りた。
「ゆっくり旅行でもしたいね」
「そうだな。なんだか知らないけどあれ以来突っ走ってきたし、本当はここらでゆっくりしたいって思う気もあるし」
 あれ以来とは、桜の木で首を吊ったことだろう。
「新しい喜左衛門ができて落ち着いたら、どこか行こうね。私もスフレ作んなきゃいけないし」
 闇に消えていく列車のテールランプを見ながら、二人はしばしホームで佇んでいた。

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コメント
この記事へのコメント
アガタ・リョウ 2008/04/15(火) 00:10 ID:-
 好いですね。あ〜だ、こうだと思う事も無く、極自然の心持で、この章を読み終えました。もっと読みたいの気分です。ほっとする空間が描かれていて、安心して読み進める事が出来ます。これって、凄い事ですよ。読者も登場人物に馴染んで来て、これからが物語りに、味が出て来るんでしょうね。次章待ってます。好い味を味わいたいですから、ゆっくりでお願いしますよ。
行間 dejavuewords 2008/04/15(火) 01:12 ID:hdScUxTA
この章でかなり行き詰ってしまいました。
プロットができてるとはいえ、それはアウトラインだけで、完全な物ではないので・・・
さらりと読んでいただいたようですが、ト書きや台詞の行間を感じていただければ幸いです。

コメント、いつもながら有難く拝読させていただきました。
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