5 雪に鎖される恋心
浩二は酒に溺れながらも妻の叱責に応え、もう一度やり直すべく仕事に精を出している。陳列台の隅から隅まで拭き掃除をしたり、店に併設してある手洗いの便器や鏡をぴかぴかになるまで磨いた。ポスシステムによる商品補充をどうすればいいか?マニュアルに沿ったオペレーションを実践した。
それでも冬場の風越は決まった人間しかいない。観光客が来る花見時までまだ二ヶ月以上もあるが、それまで彼がこのように一生懸命仕事を続けられるのだろうか・・・。
加代は芳江と話をしているが、既に酔っているようだった。
「早くお店出してくれないと、あたし、本当に辞めちゃうよ。あそこにいるの、辛いんだから」
「そんなこといってないで、ちゃんと仕事してよね」
「いわれなくても、仕事はきちんとやってます。でもね、村井さんの顔見ると、駄目になっちゃう」
万吉からそれとなく加代の様子を聞かされていたものの、姪の加代がこれほど村井春樹に心を傾け、そして苦しんでいるとは思ってもいない芳江だった。
春樹と加代が恋仲になること自体、芳江はいいことだと思っている。小学校から高校までずっと一緒だった春樹のことを、芳江は知り尽くしているからだった。ただ、二人の年齢差を加代の両親がなんというか。それが気になるところだった。
「あたし。村井さんにまたいっちゃおうかな」
「いえばいいわ。いいもしないで、ぐじぐじ悩んでてもしょうがないじゃない」
加代は初めて春樹と2人で飲んだとき、酔った勢いで自分の気持ちを彼に話したが、相手にされなかった。仕事では普段どおり話すが、それでもなんとなくすっきりしない加代は、仕事に行くのが辛くなっているのだった。それで叔母の芳江に苦しい胸の内を明かしてるのだった。
そんな加代のこと以外に考えなければいけないことがあるが、芳江は可愛い姪の愚痴を聞いてやらなねばと思った。
「いって駄目なら諦めるし、村井君が加代ちゃんの気持ち分かってくれるんだったら、しめたものじゃない」
「こないだは酔っていっちゃったけど、今はいえない」
「子供じゃないんだから、しゃきっとしなさいよ」
テーブルに脇をつけて手を伸ばし、それで徳利を玩んでる加代。
「もう帰るわよ」
「待ってー」
加代はふらつく足で芳江の後を追うが、芳江はさっさと店を出て行った。
春樹は税金の申告のために去年の帳簿をチェックしている。
「どうだ?売り上げは伸びてるのか?」
「四月は花見だから当然だけど、その後も前の年に比べると少しだけど伸びてる。梶山さんが来たおかげかな」
「あれもいろんなこと考えて、今までとは違う料理出してくれたからな。で、儲けはどれぐらいあるんだ?」
喜左衛門は個人商店で法人化してないので、経費を抜いた残りすべてが春樹と万吉の給料になった。去年一年間のその収入は千五百万ちかくあった。
「またぞろ税金で持っていかれるか。わしにしてもそうだけど、お前にしたって寝る時間も惜しんで働いてるっていうのにのぅ」
「爺ちゃんよ。自分の取り分が同じならいい訳だろう?」
「何だ?脱税でもするのか?」
「ま、任してくれって」
万吉が出て行くと春樹は色々シミュレーションして、ようやく膝を叩いた。
この夜も雪が深々と降り続いている。
「美紗緒さんにも残ってもらったのは金一封をあげたくてね」
「さすが喜左衛門」
美紗緒が手を叩いて子供のように喜んでる。
「大金だぞ」
「嬉しい」
しきりに言葉をはさむ美紗緒とは対照的に、加代はお茶を飲んでは俯いている。梶山といえば、洗物で冷たくなった手をストーブにかざしてこすり合わせていた。
「梶さんと美紗緒さんには100万ずつ。加代ちゃんはきたばかりだから30万円」
三人は顔を見合わせた。
「ただし、それは去年のボーナスとして払ったことにしてほしいんだ」
「どうして?」
春樹は万吉と自分が払う税金の分をうまく調整して三人に振り分けたのだ。そのことを話すと、皆は納得した。
「そこでもうひとつ頼みっていうか提案があるんだ」
春樹は芳江から、井戸屋を喜左衛門の支店としてやらせてほしいと相談されていることを話した。そこで彼は井戸屋を現在の喜左衛門とまったく同じスタイルの店にし、ここは少し洒落た懐石風の店にしようと話した。
「懐石なんて高級すぎて、誰もこないんじゃない」
「いや。幕の内弁当なら千円で十分にできるからな。他に蕎麦懐石とか、囲炉裏焼きだ。梶さんもだいぶん焼き方に慣れたみたいだし、任せていいと思うんだ。いいよね」
「はい。やらせてもらえるなら、何とかやります」
「で、俺と加代ちゃんは芳江と一緒に駅前に移る。どうだい?何かいいたいことあるかい?」
加代の顔が曇った。
「あたし。もうできないと思います」
加代の言葉に、春樹以外の目が彼女に集まった。
「仕事とプライベートをごっちゃにするな!それができないなら、すぐ出て行け!」
春樹の言葉はきつかったが、口調そのものは穏やかだった。
「済みません。これで」
立ちかけた加代に、万吉がまぁまぁといって彼女の肩に手をかけた。
「人間いろんなことがあるもんだ。短気は損気っていってな、ここで逃げ出したら、あんた。一生後悔することになるかも知れんぞ」
美紗緒は加代が春樹に好意を寄せていることに気付いていなかった。それで、加代がなぜこういった態度をとるのか不思議でならない。
「どうしたの?何でもあたしには話してたじゃない。もしかして、あたしのことが嫌だとか・・・」
美紗緒は自分のお喋りが嫌われたのではないかと思ったようだ。
「違う。あたし・・・」
「なー、加代ちゃんよ。人を好きになるってぇのは誰にもあることだ。春樹は、それと仕事と一緒にするなっていってるだけのことよ。仕事以外であんたが誰のことをどう思うが勝手なんだ。なー。春樹」
春樹が黙って頷いた。
「ここであんたが辞めたら、あんたの叔母さんが恥かくことになるんだぞ」
「でも、それでもあたし・・・」
「こんなことで梶さんを引き合いに出すのは悪いんだが・・・」
万吉が梶山に酒でも出してくれといいながら続けた。
「あんただって、この梶山さんのことを知ってるはずだ。あの峠で首を吊ったことをな。だがな、この人が首を吊って生き恥を晒しながら、何でここにいなきゃいけないんだ?」
揶揄されてるとは思わないが、居所のない梶山は熱燗をのせた盆を持ったまま立っている。
「皆に飲ませにゃぁ」
万吉からいわれ、梶山が猪口を配りながら酌をした。
「ここはなーんもないが、都会から来たもんにゃ住んでみたくなるんだろう。だが、生き恥晒してまで住むか?それでも、もう一年ちかくここで頑張ってる。そうしたらどうだ?風越のもん皆が梶さんを認め始めたじゃないか。あんたが春樹を思ってくれるってーのは、わしにしてもえらく有難いことじゃ。だが、それを仕事と一緒にしたんじゃ、あんたの叔母さんだけじゃなく、春樹にしたって疲れてしまうでな。ここはひとつ大人になってだ、新しい店で頑張ってみようっていう気にならんかのぅ」
黙って聞いていた美紗緒が加代に飲むようにいった。
「加代ちゃんはこんなオッサンがいいのか?いくらでも紹介してやるのに。春樹さんより、もっと格好いいのをね」
「違うの。あたし、一生懸命仕事してる村井さんがいいの」
加代はそういうと顔をしかめながら酒を飲み干した。
「済みませんでした」
「じゃ、ここに来た時のように明るくやるんだな?」
「はい」
春樹の言葉に、加代は滲んでくる涙を拭いながら応えた。
「よし。梶さんには嫌な思いさせて済まんな」
「いやー。こっちはいわれたとおりの人間だし」
「それにしてもあんた。いったいここのどこがいいんだい?」
「他に行くところもなかったし」
梶山が顔を赤らめながらいうと、皆は噴出しそうになった。
実際、梶山は病院で意識を戻したとき、そばにいた春樹を頼るしかなかったのだ。
加代は美紗緒と途中まで一緒だったが、別れた後は一人で家路に向かった。降りしきる雪は止む気配もなく、街灯さえ暗く感じた。いつもなら早足だが、冷たい雪の中をゆっくり歩く彼女の心は熱かった。つかえていた物を飲み下した感じだが、それでもすっきりしない物がまだある。それでも、なるようにしかならないのだと、気持ちを変えていくしかないと思う加代だった。
万吉は春樹と二人で酒を飲んでた。
「お前。四十になってまで、まだ由紀のこと諦めんのか?そんなことだから目の前が見えんのじゃ。恋は恋。生活とは別物じゃ。いつまでも独りでいると、その頭はよけい、由紀の亡霊ばかり見る破目になるってもんだ。現実を見詰めるこった」
春樹は万吉の猪口に酒を注ごうとしたが、万吉は寝るという。
「曾孫の顔はいつになったら拝めることやらな」
そういいながら万吉は二階に上がっていった。