1 見返り桜
梶山三郎はプロバイダ料金を滞納してるため、二日後にはネットの閲覧ができなくなってしまう。それで、お気に入りのブログを、残り少なくなった徳用の焼酎を飲みながら巡回してる。
ネットサーフィンを経験してる誰もがそうだろうが、はじめの目的からそれたところへワープすることがしばしばある。そして、こんなの見るつもりじゃなかったのに・・・となることが多い。梶山もそれに嵌っていた。
酔いがまわってきてそろそろ寝ようかと思っていたが、桜というキーワードから桜の木の下になり、それが桜の木の下でセックスしてみたいになり、挙句にはアダルトサイトに入っていた。
恋人がいるわけでもないのでセックスなど梶山には無縁だが、そこはアダルトらしからぬ感じで、文字を中心とした「街角の見返り美人」というブログだった。それもかなり叙情的な文章で、それが彼の酔いを醒ましたようだった。
私は男なので女性のようにオルガスムスを持続することはできない。
でも、それを精神的に持続することは可能だった。
それは風越峠のそばにある老木の桜だけど、そこで彼女といい気分になってことに及んでしまったことがある。
花見どきでもウイークデーであまり天気がよくなかったせいか、他にくる者もなく、私たちは周りの山や町並みを見下ろしながら二人だけの花見をしていた。遠距離恋愛で会うのが久しぶりだったこともあって、抱き合ったわけです。
人がこないか気になったけど、ブランケットを被ってたし、キスしてたらもう我慢できなくて・・・
彼女も私と同じで、キスされただけで気が遠くなってたらしい。
私が果てるとき桜の花びらが散ってることや、うっすらと富士山が見えてることなどが目に浮かんでた。
そして思いを遂げた訳だけど、いつもと違っていっきにいってしまうっていうんではなく、じょじょにピークを目指してるって感じだった。その後も余韻はかなり永い間あった。
そこで、今年はまた風越のあの桜を見に行こうと思ってます。
いや、あの桜の木の下で、思いっきり彼女を抱くつもりです。
そんなことが、ブログの日記のコーナーに書かれていた。
梶山はそれで他のコンテンツを見るが、その日記を書いた人間とはほど遠いエログロ画像や飛ばしリンクばかりで閉口してしまった。
それでも、風越の桜が気になり検索をすると、「風越の見返り桜」という名称が分かった。風光明媚なところで、街角の見返り美人の管理人が書いてあったとおり、四方を遮るものはなく、遠海という町並みを見下ろせるらしい。
梶山には、そこへ行って二泊ぐらいできる所持金が残っていた。
四月半ばの風越の駅周辺は、見返り桜を見に行く者で賑わっていた。
東京から二百キロほど離れた人口一万人あまりの遠海町の産業といえば林業だったが、それも今では精密機械メーカーを誘致し、駅のそばにはスーパーやコンビニにファーストフードといった商業施設が軒を並べている。
駅から二百メートルほど離れたところにバスの営業所があり、そこから風越峠行きのバスが出ている。
梶山はバスを待つ間、隣の合掌造りの店に入った。
「おはようございます」
入り口は薄暗いが、奥へ進めば大きな窓から陽光が差し込んで明るい。それどころか、時代がかってかび臭い建物とは反対に、若い女性の声はうららかだった。
「見返り桜見に行くんですか?それならまだ一時間弱ありますから、ストーブにでもあたってゆっくりしてって下さい。お茶は自由に飲めますから」
ストーブには大きな薬缶がかけられ湯気がたっていた。長椅子の一角には急須と湯飲みが置かれている。
梶山が自分で淹れた茶を口にすると、香ばしいほうじ茶だった。それで胃が刺激され空腹だったことに気付くのだった。
壁には麺類や丼物、それにホットドッグやピザなどありとあらゆる品書きが掛けられている。
そのなかで、梶山の目を惹いたのは鯰定食だった。頼んでみれば鯰の蒲焼と天麩羅に刺身。それに山菜の小鉢と菜の花の芥子漬け。アサリの澄まし汁とご飯が出された。
テレビのグルメ番組などで鯰が美味いとは聞いていたが、蒲焼はふんわりしてて鰻のように脂ぎったところがない。刺身は淡白だが山葵醤油の刺激で、山盛りの飯をあっという間に平らげてしまった。それでも鯰料理はまだ残り、半ライスを注文した。
「蒲焼をのせてご飯と混ぜて、その上にお茶をかけて食べる人もいますよ」
そういわれてやってみると、確かに美味い。それで千円という料金は破格値だった。
「久しぶりにまともなもの食べたって気がした。ご馳走さん」
駅前のコンビニや食堂はかなり込んでて入らなかったが、あまり客のいない喜左衛門にきて正解だと思う梶山だった。
村井春樹は従業員の柳下浩二がこないので彼の家を訪ねていた。浩二は女遊びで夜更かしした挙句、布団から出ようとしなかった。こんなことは今日だけでなくしょっちゅうだったので、春樹としては見切りどきだと思った。
「小父さん。浩二には辞めてもらうよ。俺がこんなことで店を空けてる間にも昼ちかくなって、爺ちゃんと美紗緒がてんてこ舞いしてるよ」
「すまんなぁ。夜中っていうか明け方帰ってきたらしい。寝たら起きられないから、そのまま仕事に行けっていったんだがな」
「浩二には、とにかくこれでこなくていいっていっといてよ」
春樹はそういって喜左衛門に戻った。
昼は弁当を持ってこない勤め人などが、どっと押し寄せてくる喜左衛門。
三十人ほどが入れる店内はごった返し、外のテーブルまで満席になってしまう。そこに花見客も加わり、春樹は祖父と美紗緒の三人で二時間ちかく動きっぱなしになった。中には花見を終えて既に酔っぱらい、店内で大声を張り上げているのもいて、そんな客の我儘を聞いたりしながら他の客にも目配りする三人だった。
そんな忙しい昼時を済ませた万吉が孫の春樹に、早いとこ誰か雇わないと自分も美紗緒も倒れてしまうといった。
「こんなこといってもしょうがないが、お前が嫁さんもらってりゃぁ、こんな思いしなくて済むもんを。四十だって遅くねぇんだ。フィリピンでもタイでもいいから行って、適当なのもらってこい」
それを聞いてた美紗緒が笑い転げる。
「お爺ちゃんのいうことは相変わらす突飛だわ」
「そうかのぅ」
「そうだよ。相手にだって選ぶ権利ってのがある。俺はフィリピンやタイより、韓国とか台湾のがいいけどね」
「あら。フィリピン女性はスタイルがいいっていってたくせに」
美紗緒がそういうと、春樹は返す言葉がなかった。彼は最近できたフィリピンパブに行ったりしているのだった。
遠海は自然が残る田舎町だが、大企業の関連した工場などの進出に伴い、町の様相もかなり変わりつつあった。スナックは地元の人間が細々とやっていたが、隣の泉町から流れ込んできたヤクザ者が外人パブを始めたところ大受けだった。その流れをくみ、他にも三軒がそういったパブを出していた。
梶山三郎は見返り桜の写真を撮っていた。昼前から夕方までずっと桜のそばにい続け、ときにはベンチでごろ寝をしたりして夕暮れを待っている。携帯の着信音で起き上がれば、以前付き合ってたことのある波流美からだった。
「どうしてる?」
「メール送ったとおりだよ」
「そう。行けるとしても、明日のお昼かな」
「あぁ。待ってるよ」
梶山は夕暮れの写真を撮り終えると、今朝行った喜左衛門に戻った。そして、渇いた喉にビールを流し込んだ。
「この近くに安く泊まれるところありますか?」
花見どきでどこも満員だろうということは分かっていたが、春樹は宗助という昔ながらの木賃宿に電話をかけた。
「素泊まりで三千五百円だけど、どうします?夕飯はもう遅くてできないらしいです」
それでいいから予約すると応える梶山だった。
宿が決まるとほっとし、彼は筍の山椒味噌焼きを肴に冷酒を飲み始めた。
「見返り桜っていいところだね」
朝見た女性はもういなかったが、高校生らしき女性にいう梶山。
「でしょう。あそこは朝早く行くと雲海が出てるときもあって最高。泊まるんなら行ったほうがいいかもね」
「そんなに早くバス出てるかな?」
「宗助に泊まるなら、あそこの小父さん写真やってるから連れてってくれると思うよ。ここの春樹さんも写真やってるからたまに行くみたいだけど、今は人が辞めてそれどころじゃないし」
夕方からアルバイトをしている美穂は女子高生らしく、屈託のない顔で見知らぬ客の梶山にも笑顔で接した。
「これはここの名物の山葵の葉と茎の蕎麦巻き。お爺ちゃんが持って行ってやれって」
梶山は彼女がいうお爺ちゃんのほうへ座ったまま会釈した。
万吉は通りすがりだが宗助に泊まると聞き、その客に自慢の一品を勧めたのだ。
春樹は炭火で岩魚や地鶏を焼いている。その合間には客の勘定もしたりで、客がいるところは美穂に任せっきりだった。
土間には大きなテーブルがあり、そこには十五人ほどが座れた。小上がりは四人用のテーブルが二つ。そして、壁際には日用雑貨品などの陳列台があるが、その脇にカウンター席があった。また、ストーブの周りにも長椅子がある。そんな客席は梶山以外にも、通勤客や花見帰りの電車待ちの者で半分ほど埋まっていた。
「美穂。爺さんに、こっちにも何かサービスしてくれって」
「葛谷さんは飲みすぎだよ。もう帰ったほうがいいって」
「俺の金で飲んでどこが悪い」
「だったら、そのお金で何か頼みなよ。いつもサービスしてたら、この店潰れちゃうよ」
「まったくだ。たまには早く帰って女房と仲良くしろや」
万吉は他の客に蕎麦を運びながら葛谷という酔っ払いにいった。
「愛想のない爺だ」
「あんた、夕飯はどうする?駅前いきゃぁ若いもんむきの店もあるけど」
「もう少し飲んでから、ここで食べます」
「それなら、うちの孫に宿まで送らせるか。ゆっくり田舎料理でも食べりゃぁいい」
強面の顔だが、いうことが優しい万吉に梶山は頭を下げた。
波流美は仕事帰りに仲間と居酒屋に行った。
「明日から三日間休みだって。いいなー」
「年度末は休日返上だったし」
「どこか行くの?」
「うん。風越の見返り桜見に」
「へー。あそこなら一回行ったことある」
波流美といるのは年代はまちまちだが、彼女と気心の知れた人間だった。
「富士山も見えるし、いいところだよ」
「それはいいけどさ、ここの焼鳥臭わない?」
「しょうがないって。安いだけが売りだし」
「そういえば、風越の駅から少し離れたところに喜左衛門っていう古ぼけた店があるんだけど、そこの焼鳥は大きくてふっくらしてて最高だったな。蕎麦も美味かったし」
「こことは大違い。たまには違うお店開発してよ」
居酒屋がフランチャイズ化されたものばかりになり、個人経営の店は少なくなるいっぽうだった。それは居酒屋に限らず、ありとあらゆる業種に及んでいる。どちらにしろ、輸入物に頼らざる得ない状態で、焼鳥などは味だけでなく食感ですぐに分かる。ホッケや海老といった物までが輸入品となれば、そういった居酒屋が提供する味などどこへ行っても同じことになってしまう。
波流美は三ヶ月ぶりに会った梶山が、ほっそりして痩せているのが気になった。
「ちゃんと食べてるの?」
「まぁね。それより美味い店があるんだ。そこで食べてから見に行こうか」
「喜左衛門とかってお店あるらしいんだけど」
「そこだよ。よく知ってるね」
波流美は喜左衛門で焼鳥重を食べた。仲間が昨夜いってたように、ふっくらとして脂がのった肉は噛めば噛むほど旨味があった。それは肉だけでなくタレも同様で深みのある味だった。小付けで出された筍の刺身は、甘い香りがなんともいえない。
「美味しい。派遣の人がいってたとおり。皆にも食べさせてあげたいわ」
梶山はその後、波流美を見返り桜へ連れて行った。彼の思惑通りにその木の下で彼女を抱くことはできなかったが、モーテルで思いを遂げた。その翌日、梶山と波流美は喜左衛門で遅い昼食をとり、再び見返り桜に向かった。波流美は三時のバスで帰ったが、梶山は残った。
梶山以外に、誰もいなくなった夕暮れの見返り桜。
今生の別れとばかりに酒を飲み、昨夜抱いた波流美の顔を思い出しながら、彼は桜の木で首を吊った。