仮題「萬屋喜左衛門」という小説を書き始めて半月。
最初はハイペースで10枚を書き、その後もなんとか40枚書いたところでストップ。
テーマからそれた内容を修正するより、始めから書き直す。
だが、それでも行き詰ってしまう。
大上段に構えてるわけでもないのに、キーを打ち込む指がまったく動かない。
これはすなわち書く内容がないことになるが、私自身は書きたいのだ。
人物設定もできてるし、あとはそれをどういうふうにストーリーを展開して絡めていくか?
それだけなのだが、それがうまくいかない。
しばし、キーボードから離れ椅子にもたれては煙草を蒸すが、その時間が永くなってしまう。
そして、今までの自分のこしかたを振り返っている。
それで「萬屋喜左衛門」なんかより、他に書くべきことがあるんではないか?と自問自答している。
だが、それでも永年あたためてきた構想をここで断念するのは悔しいのだ。
また煙草に火をつけた。
温泉に行きたいとか、誰それに会いたいとか、脈絡のないことばかりが浮かんでは消えていく。
まるで今吸ってる煙草の紫煙の様にだ。
人間は生まれながら持ち合わせた能力というのがあり、それを活かすも殺すもその本人次第だと思っている。
運命などと大袈裟なことを振りかざす気はないが、
ここまで行き詰ってくると、さすがに自分の能力の限界を感じてしまう。
これは、自分には文章を構成する力がないのかも知れないと痛感する次第だ。
いや、20年ちかいブランクを経てのことだし、お前さんが焦る気持ちも分かるがゆっくりやれよと、もう一人の自分が囁いてくる。
知り合いの新潟県人から戴いたハタハタを肴に焼酎を飲んでる今、このハタハタが持つ滋味深さに胃袋が満足している。
私が目指す小説とはこのハタハタと同じで、旨味のあるあるものだ。噛めば噛むほど味わい深くなる氷魚でもいい。
だが、私が書く物は薄っぺらでパサパサなシシャモもどきにもなれないのだろう。
分相応とはよく言われる。
今の私はさしづめ 文不相応 な人間なのかもしれない。
このブログは主に自作小説の掲載です。
気楽に読める大人の小説を目指しています。
立ち読み大歓迎です。
たまに山や旅の写真の紹介もします。
ここで連載して完成したものは
一部手直しと校正し、リンクの「夢想国師」に
上梓しています。
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