自由が丘というのは元は荏原郡衾村といってたのが、手塚岸衛なる者が自由が丘学園を創設したところからから由来してる地名らしい。
その自由が丘の昭和40年代は高度成長とともに昼は学生、夜は酔客で賑わっていました。
そんな自由が丘駅は高校への乗換駅であったことから、私がホームグラウンドとしてよく遊びまわった街です。
なかでもファイブスポットというジャズ喫茶には足繁く通っていました。
音楽が嫌いという人はまずいないでしょう。
「どんなタイプの音楽であろうと、人に悪影響を与えることなんてない」といったのはエルビス・プレスリーでした。
でも、彼が今の世に生きていたら、本当にそう思うかどうか問い直してみたいものです。
というのは粗製乱造した歌などを、メーカーがメディアとタイアップしては売らんがためにあの手この手で押しているからです。
ま、そんなキナ臭いことは置いとくとして、私が高校時代よく聞いていたジャンルにジャズがあります。
デキシーランド、ビッグバンド、モダン、クール、フユージョンなどジャズにもいろんなジャンルがありますが、ピアノ・ベース・ドラムというオーソドックスなピアノトリオのオスカー・ピーターソンが大好きでした。
この当時ジャズ喫茶はいたるところにあり、あそこはJBLのスピーカーだの、こっちは山水のアンプだなど、いやマランツのシステムで聞かせる店がいいだのと、ジャズ喫茶の評価をしたりしたものです。
でも、高校生の私にはたいした小遣いもなく、地元の自由が丘のファイブスポットがいちばんでした。
何しろ昼なら百円でコーヒーが飲め、しかも授業をサボって行ってるにもかかわらずおおっぴらに煙草を吸える環境が何よりでした。
なぜ私がオスカー・ピーターソンが好きかといえば、このファイブスポットで軟派した女子大生に勧められたという、実に他愛のない理由からですが、聞けば私のフィーリングにぴったりだったんです。
MPSレーベル発売の「Mellow Mood」というアルバムのなかの「Summertime」を聞いてしびれましたね。
これがジャズだって思わされたものです。
ジャズとはトリオやカルテットなどの各プレーヤー達の気分に応じた即興のなせる業だと認識したものです。
ジャズは譜面のないアドリブがぶつかり合ったものとはよくいわれますが、まさしくそのとおりのプレーは聞いてて胸が熱くなったものです。
自由が丘の駅前ロータリ-の角の蜂の家の斜め前にあったファイブスポットが閉店したのは1980年頃だろうか?
その後はディスコや楼蘭なる中華料理屋に変わったりしたが、今は見る影もない。
地下に通じる階段を下りていくと、ウエス・モンゴメリーやマイルス・ディビスなどの似顔絵の油絵がそこかしこに飾られていたファイブスポット。
ジャズ評論家でファイブスポットのオーナーだった磯野てるお氏はNHKFMでいろんなプレーヤーのエピソードを紹介していた。
それが評価されたのか慶応大学では講師としても活躍されていた。
昭和30年代の自由が丘デパートの屋上はローラースケート場があったのを覚えてます。
冬にはそこから富士山がよく見えた。
今日その自由が丘を歩いてて「自由が丘夫人」なる小説があることを知ってる人が、この街を行き来してるなかにどれぐらいいるのだろうかと思ってしまった。
それほど街は変化し、私が親しんでいた自由が丘の面影が残ってるのは南口を出て右にいった踏み切り手前の飲み屋が密集してる薄暗い路地だけとなってしまった。
割烹の大島屋や天麩羅の与起(き=七が3つ)もなくなり、高級クラブが集まっていた山田ビルもひっそりと静まっていた。
気付いたのは個人商店がかなりの数で姿を消し、その代わりにドラッグストアやファーストフード店にチェーン店の居酒屋の台頭だった。
私自身の経年変化もあるだろうが、今の自由が丘に何の魅力も感じられなくなったのが寂しくてしょうがない思いです。
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ご訪問有難うございます。
ただいまモニターのちらつきが酷くなり、画像の加工だけでなく文字入力も困難になりつつあります。
原因はモニターのドライバーやBIOSが古いのか、それともモニター自体の寿命かわかりませんが・・・
PC自体5年半も使ってるので、いつ起動できなくなるとも限りません。
更新が途切れたときは上記の理由か、もしくは長旅に出てるのかどちらかです。
懲りずにご訪問いただければ幸いです。
必ずや復活しますので・・・