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風越峠 吹雪編 第7章 万吉の心情

7 万吉の心情
 
 遠海町風越分校。
 風越駅と風越峠との中間にあり、昭和八年の開校。
養蚕農家や林業家達の子孫代々が通っていた。
元は小椋小学校と風越中学校と別々だったが、それを統合しても今ではその児童数が三十人にも満たず、廃校の危機に晒されている。
 木造校舎平屋建てだがそこからの景色はよく、晴れた日には遠海盆地を見下ろせる。春にはその遠海町が桃の花でピンク一色に染まって見え、写真愛好家の隠れた名所にもなっている。
 そういった歴史背景と風光明媚で人情豊かな田舎町のよさを積極的にPRしてる団体がある。
 その名を風雲舎といい、主な事業は山村留学の受け入れで代表者名は村井万三郎氏。
 
 ウィキペディアで風越分校を調べると以上のことが記されている。
 その個人名を挙げられている村井万三郎といえば、今は九州から新幹線で三島駅で降り、西伊豆の鄙びた温泉宿にいる。慌しかったこの一年間の垢を由布院で落としてきたものの、子供たちが戻ってくるまでまだ五日間もある。それで立ち寄ったのが魚が美味いという宿だった。
「山国育ちの人間だから、たまには海の魚が食いたくなってな」
 そんな万三郎に、宿では正月客もいなくなり一人客でも心行くまで魚を堪能してもらおうと、活き造りから焼き物と煮物。最後は金目鯛の味噌鍋を出した。
「苔臭い山女や岩魚と違って、海魚は味がいい。鍋の金目も美味かったが、途中で出たメジナのソテーが良かった。山葵で和えたバターソースが絶品だったよ」
「有難うございます。露天風呂も温泉ですから、ゆっくり入られてはどうですか」
新幹線を降りて予約したものの思いのほか時間がかかり、風呂に入ってない万三郎だった。女将に勧められその露天風呂に入れば、月が煌々と輝き星も明るい。風越荘の露天は肌をさす寒気だが、ここは穏やかな空気だった。
湯舟で長旅の疲れを癒していると、鼻歌でも歌いたくなる気分だったが、彼に思い当たる歌はなかった。農業一筋の彼だったが演歌は聴かず、聞くといえばクラシックだった。チャイコフスキーのピアノコンチェルトやドボルザークの新世界など、そういったメロディーが星空にも相応しかった。
三科暢がほろ酔い加減で風呂に行った。
よほどいいことがあったのか鼻歌まじりで浴衣をさっさと脱ぎ、湯船にどぼんと落ちるような勢いで入った。
お酒はぬるめの燗がいい。いや、風呂上りはやっぱりビールだな。
そんなことを鼻歌と独り言をまじえながら、彼は湯で顔をごしごし洗った。
うるさいのが入ってきたとばかりに万三郎が振り返ると、三科があっと声をあげた。
「どうしたんだ。こんなところで」
「あんたこそ、何やってんだ」
 万三郎は三科暢と会うなど予期してなかっただけに、戸惑いがあった。
「そんなことはどうでもいいってもんだ。それより、こんだ再婚することになってな。その女と一緒だ」
 金に物を言わせて女をひっかけたのか・・・。いや、この男のことだし、どうせそういう人間は碌でもない女に違いない。ひっかけたつもりがひっかけられてるのかも知れん。
「ということなんで、一緒に飲もうや」
 渋る万三郎を、三科は強引に絹江に引き合わせた。若い女とこれから暮らすんだと思えば、六十後半になっても嬉しくてしかたないといった感じだった。
「小樽は寒くてなぁ。風越に行く前に、あったけぇ伊豆で温泉でも入ろうってことになった」
 既に絹江と万三郎は挨拶を交わしていたが、話がはずむこともなかった。三科一人が上機嫌でビールを飲んでは、やたらと甲高い声で喋っている。
「この齢で三十半ばの女と一緒になるとは思いもしなかった。これから頑張って仕事しなきゃな」
「何の仕事をする気だい?」
「決まってるだろうが。田舎っぺよ」
 万三郎は飲もうとしていたビールグラスを、一瞬落としそうになった。
 万三郎は部屋に戻るとすぐに春樹に電話をかけた。
 
 野瀬健太郎は寝る時間をいそしんでは歴史小説を読んでいる。
「そんなに面白いの?」
 真田幸村といえば知らぬ者はいないだろう。その父親の昌幸は、徳川家康を散々てこずらせたことで有名な武将だった。小説など虚々実々だが読んでいると、自分がその時代に生きているような錯覚に陥りそうな野瀬だった。そして、武将同士の駆引きを自分ならこうするのにと思いながら読んでいると、思いのほか時間の経つのが早かった。
 四十も半ばになれば女房との睦みあいも少なくなったし、ましてや仕事が終われば何もしたくない野瀬だった。それが読書という楽しみに変わったのだ。
 そんな野瀬の部屋に春樹が現れた。
「夜遅く悪いんだけど、ちょっと飲まないか」
 春樹が梶山の待つ部屋へ野瀬を連れて行った。そして、昨夜万三郎から電話があったことを話した。
「田舎っぺをやらせないっていうなら、財産相続の裁判起こすって息巻いてるらしいんだ。で、俺も弁護士に相談したら、腹違いの子供でも相続する権利はあるっていうし」
「万吉さんの遺書はあるんだろう」
 遺書にはすべての財産を春樹に相続させると書いてあるが、法的に見れば三科暢にも権利が発生するようだった。
「村井はその三科っていう人に、田舎っぺをやらせる気があるのか?」
「ある訳ないだろう。あんなもんにやらせたら、看板に傷がつくだけだ」
「ということは、裁判になったときのことを考えてるんだな」
「ま、そうだな」
 万吉が残したものといえば、三千万弱の預金と喜左衛門という店だった。喜左衛門の土地と店の評価額など多寡が知れているし、三千万の三割をやるとしても、春樹にとっては腹が痛むほどの額ではなかった。
 だが、春樹としては三科暢などという碌でなしには、びた一文払いたくないというのが本音だった。
「金で片がつくなら、それがいちばん手っ取り早いんじゃないかな」
「それしかないか・・・」
「お金って、生きていくうえで必要な分だけあればっていうと極端だけど、自分にはそれ以上のものを欲しいとは思わないな」
「梶さんのいいたいことは分かるけど、気分の問題なんだ。あんな奴に金をやるっていうのは、盗人に追い銭だからな」
 
 絹江は三科にべったり付きまとい、小樽のときとは打って変わって彼に好意を表していた。
「あそこで、俺は中華料理屋をやってたんだ」
「へー。いいところじゃない」
「伊豆みたいに暖かくはねぇが、小樽みたいに雪ばっか降るわけでもねぇーしな」
 ところが、二人が遠海町に戻ってからというものは、雪が日増しに多く降り続けた。喜左衛門に行こうにも難儀するほどの降雪量があった。
 田舎っぺをやらせろという三科の要求を、春樹は同行している絹江の前できっぱりと断った。
「そうかい。じゃ、これが弁護士からの書類だ」
 書状を見れば、喜左衛門の経営権を分与するようにと記されていた。
 春樹の顔が強張った。金ならともかく、万吉と二人で築いてきた喜左衛門の経営権を分与せよとはどういうことだと、怒りが湧いてきたのだ。
「いい感じねぇ」
「ちょっと飲むか。酒くれや」
「あんたに飲ます酒はないね」
 これには三科が青筋を立てた。
「客にそんなことをいうのか、この店は」
「いいじゃないの。店なら他にもあるし、それに、いずれはあたしたちの店になるんじゃないの?ここは」
「そうだけどな」
 青筋を立てている三科とは反対に、春樹の顔は紅潮していた。
 
 日本列島は正月あけ早々大寒波に見舞われていた。
 登山者に人気のある北アルプスでは釜トンネルから先、上高地へ通じる道が例年にない降雪量だったし、さらには雪崩の危険があるとのことで入山規制が発令された。南アルプスや八ヶ岳も同様で、各山域は相当な降雪量を記録していた。山だけでなく山麓や平野部も異常な積雪量で、除雪作業が間に合わない地域が陸の孤島となった。
 梶山が住む小椋地区から上は、雪が深くてジープでも通行できないほど雪が積もっている。だが、そのなかを梶山がスノーモービルで、老人だけの核家族をまわっている。そして、今日もその一人を風雲舎に連れてきた。
「まだ、赤沢の爺さんが残ってるな」
「どうしてもやだって、いってます」
「雪降ろしもしないで、いつまでもいられる訳ないの分かってるはずなのに」
「除雪のほうは物好きな連中がもうすぐ来ると思うけど、役場に連絡したほうがいいですよ」
 その翌日、梶山は風越駅に行ったが、列車はかなり遅れているようだった。それでも頼んだ五人が到着し、彼らを風雲舎に案内した。彼らの目的は勿論、小椋地区の民家の屋根に積もった雪降ろしに来たのだ。
 
 そうした悪天候に関係なく、春樹と三科の弁護士双方が書状とメールでやり取りをし、和解の方向で話を進めている。
 それによれば、喜左衛門の経営権の分与というのは現実的には適当ではないので、田舎っぺの或る地区を三科に任せることとなった。それは三科の要望でそうすることになったのだ。
 春樹はそれに対して猛反発したが、野瀬が任してくれというので、それならと関東ブロックを三科に委譲することになった。三科もそれ以上の要求をしないということで決着がついた。
 その地域には二百店舗ほどあり、田舎っぺ本部が降ろす商材の年間売上げは四千万程だった。その権利を、三科が手にしたことになるのだ。
「やったじゃない。小樽から来た甲斐があったって訳ね」
「だろう。左団扇どころか、足で仰いでるようなもんだ。電話で右から左に流すだけの商売で、遊んでても儲かるんだからな」
「そうとなったらこんなところより、もっと暖かいところがいいわ」
「そりゃそうだな。熱海にでも越すか」
「それがいい。もう、寒いところは懲り懲りだわ」
 
 三科暢と絹江が遠海の宿を後にすると、雪はぴたりと止んだ。ところが、その三日後にまたどか雪が降り、風越駅には列車が到着しない状態だった。梶山が呼んだ除雪隊は風雲舎で足止めを食らうだけでなく、雪を降ろしたばかりの家々を再びまわらなければならなくなった。
 都会からやってきた大学生やフリーター達のおかげで、小椋地区の老人達の家は雪に押し潰されないでいるが、この先も断続的に大雪が降る予報が出されていた。
「いつまでも、皆に頼ってる訳にもいかないな」
 春樹が梶山にいうと、梶山は彼らはボランティアで来てるけど、なかにはここで暮らしたい者もいるという。
「それなら、住んでもらえばいい」
 万三郎はそういうが、春樹はそれに同意しなかった。
「叔父さんは簡単にいうけど、人の一生が懸かってるんだし、そういう訳にいかないよ」
「何人残るか知らんが、わしが面倒見る」
「叔父さんだってあの三科って人のために自腹切ってるのに、そんなお金どこから出てくるのよ」
「その三科が春樹の店を横取りしたんだし、その分を俺が取り返そうってことよ」
「やめなよ。ああいう人間には、関わり持たないほうがいいって」
「あんなんでも俺の兄貴が生ませた人間で、血の繋がりがある。それだけに、何とかしなきゃな」
 万三郎は熱燗を飲みながら何喰わぬ顔でいうが、春樹には彼の腹のうちが分かるようだった。
「でも、無理しないでよ」
 心配げな春樹をよそに、万三郎は梶山に酒を注いでもらっている。
「今はこの雪で身動きが取れん。かといって、このままあいつを、いつまでも放っておく訳にもいかんしな」
 万三郎は伊豆で出くわしたときの三科のことを思い出すものの、感情を露にすることなく淡々としていった。野瀬の入れ智恵もあり、彼は悠然としたものだった。
「梶山さんよ。残りたい者には残るようにいってくれ。残り少ないわしの人生。人の役に立てたいしな」
「風雲舎で、十分役立ってるじゃないですか」
「どんなもんだろうか・・・」
 囲炉裏端で猫背になってる万三郎の姿に、春樹は万吉を見てる思いがした。
 その万三郎が眠くなったといい、部屋に戻って行った。
「万三郎さん。ゆったりしてたけど、何か凄みがありましたね」
「そう思うか?」
「落ち着いて見えたけど、後には引かないって感じだった」
「叔父さんクラシックが好きで、こんな田舎のレコード屋にクラシックなんかないのに、取り寄せてもらっては聞いてた。それを俺にも聞けっていってたけど、俺にはさっぱりそんなの分からなかったな。真面目でおとなしいけど、ここっていうときは、凄くおっかないときあってさ」
「さっきがそうですか?」
「何考えてるか分からないけど、何か、覚悟してるって感じだったな。梶さんもそういうところあるんじゃない?」
「いやぁ。自分は、見たとおりの人間ですよ」
「風越に来て、もう七年ぐらいなるのかな・・・」
「そうですね。時間が経つのはあっという間で、七年も経つのかって感じです」
 見返り桜で首吊り自殺の未遂を起こしていなかったら、こうして村井春樹という男と関わりを持つこともなかっただろう。ましてや好きな料理人として、宿の経営などすることもなかったはずだ。
 喜左衛門で働いてるときはいわれたことをやっていればよく、四季の移ろいなど自然に目をそむける時間がかなりあったが、今は経営者としての仕事が多くなったし、そのうえ雑用も増えている。風越駅近くの人間と会うことも少なくなり、ひがな小椋という何もないところでの時間の流れは、ごく限られた人間との関わりしかない。それが不満といえば不満だったが、訪れてくる客とのやりとりが気分転換になっていた。
 そんな梶山の気持ちを知ってるのかどうか、春樹は徒に囲炉裏の灰を十能でかきまわしている。
「炭が燃えれば皆同じ灰になる。いい墨も悪い炭も皆一緒だ」
 そういって春樹は部屋に戻った。
 
 三科は手中にした田舎っぺの加盟店に、社長に就任したことを書いた挨拶状を出した。商品の仕入れすべてをこれからは自分が手がけるので、強制はしないがなるべく取引をして欲しいとも。
 加盟店側は社長が誰になろうと関係ないという反応だった。なぜなら、どこから仕入れしようと自由であり、なんら縛りをしないという契約があったからだ。要は安くていいものなら仕入れるし、悪ければ仕入れしないということだった。
 田舎っぺの加盟店が何をどれぐらい仕入れしてるのか分からない三科は、野瀬に過去のデータを送らせた。それを基に取引先を開拓しているが、加盟店側の反応がよくない。食材の質が悪いとか卸値が高いといった苦情が相次いだ。それでしかたなく、野瀬を介して従来どおりの業者に戻さざるを得ない状況だった。それでも二百軒の加盟店があり、それが一日に千円仕入れただけで二十万になる。その二割、つまり四万円が毎日三科の懐に入る計算だった。一か月で百万になるのだから、まさに濡れ手で粟といった感じだった。
 
それに気をよくした絹江は熱海という暖かな土地にいることもあり、小樽にいたころと打って変わって出歩くようになった。
新幹線に一時間も乗れば東京だし、名古屋でさえ二時間で行ける。その名古屋に、絹江は足繁く通った。味噌煮込みうどんや土手鍋など、独特な郷土料理に嵌っているからだった。
「今日は味噌カツにするわね」
「また名古屋まで買いに行くのか」
「だって、ここに一日中いてもやることないし、温泉も飽きたし」
「少しは自分で料理しろや」
「あら。好きなことしていいっていったじゃない」
「そりゃそうだが、たまには手料理も食わしてくれんと、いい齢して腹ばかり出て困る」
「貫禄があっていいじゃない」
 そういっては、絹江はいそいそと出て行くことが多かった。
 しょうがない奴だと思うものの、若い女を囲っておくには目を瞑るほかないようだった。
 
 三月になると、風越の雪は日に日に溶け始める。
 小此木陽太のように残る者は特殊で、ほとんどは卒業と同時に自宅へ戻って行き、同時に新たな児童が入ってくる。風雲舎の知名度が上がったこともあり、今年は二十五人がやってきた。彼らにひととおりのオリエンテーリングを済ませた万三郎は、新学期が始まるまで留守にするといいだした。
「各地の山村留学の実態を調べてくる。岐阜や長野でかなり廃校になってる。そういうところを歩いてみたいんだ」
「いいけど・・・」
 梶山が万三郎に頼まれていた学校の所在地や、役所などの一覧表を手渡した。
「市町村の変遷史も、纏めておきましたよ」
「済まないな、梶山さん。あんたには、いつも細々したことしてもらって、感謝してる」
「感謝だなんて、大袈裟ですよ。それに、皆仲間じゃないですか」
「そうか。有難うな」
 子供達の歓送迎会を終えた夜だった。
 万三郎は上機嫌だった。子供達に聞かせたハーモニカでロンドンデリーを春樹と梶山、そして野瀬夫婦。それに除雪にきたまま残った三人の若者達に披露した。
 哀調を帯びた感じの曲は、ハーモニカの澄んだ音色でよりいっそう物悲しく聞こえる。それにあわせて、若者がギターを持ち出して伴奏した。
「有難う。上手いもんだ。じゃ、俺は朝が早いんで、これで寝るか」
 万三郎が去った後もギターをカラオケ代わりに、次から次へと歌い続ける皆は、飲めや歌えやというひと時を楽しんだ。
 
 春樹は喜左衛門でひととおりの仕事を済ませた昼過ぎ、万吉が使っていた二階の部屋の空気の入れ替えのために入った。
 冬の間はほとんど入ることがなかったため、かび臭い匂いが鼻を突いた。小椋の自宅に仏間を作ってあるが、この部屋にも万吉の写真は以前のまま置いてある。万吉だけでなく両親の写真を見ていると、子供の頃を思い出すようだった。
 雪解けとはいえ春はまだ先で、昼過ぎの喜左衛門は春樹がいなくとも美紗緒がいれば十分だった。
それで、彼は押入れや上の戸袋も開け、万吉が仕舞い込んだ段ボール箱を引っ張り出しては掃除を始めた。部屋は景子がたまに手入れをしているが、手の届かない戸袋までは開けてないのか、ダンボールは埃を被っていた。
川柳や都々逸の綴じ本がぎっしり詰まったものや、売上げを記録した古いノートと蕎麦打ちのレシピのようなものがあった。
そういったものは万吉が亡くなった直後に春樹が整理していたが、ひとつひとつ目を通してはいなかったので、今まで目にしなかったものもいくつか出てきた。
年に四回発行している小冊子風越通信は万吉が亡くなる直前のが一番上にあり、それをひっくり返して下のほうのを手に取ると、昭和二十五年の物がいちばん古かった。それらを古い順から見ていくと、喜左衛門の開店にちなんだ記事があり写真も掲載されていた。
それは初めて見るもので、藁葺き屋根の粗末な掘っ立て小屋だった。万吉と春樹の両親に春樹自身が抱かれ、店の前で撮影されたものだった。
風越通信だけでなく、万吉自身が書き留めた日記のようなものもあり、それらを次から次へと見ていくと、喜左衛門の歴史のようなものを感じ、春樹の目頭が熱くなった。
ダンボールをすべて開けて詰め替えをすると不要なものが出て、それを廃棄処分するように畳んだとき、紙切れが舞い落ちた。
拾い上げて見ると、万吉が三科暢へ宛てた手紙だった。
 
暢へ
ラーメン屋の修行で東京へ行ったまま、もう三年が経つ。
元気でいることを願ってるが、お前のことだから心配でならんのが実情だ。
お前が帰ってきたら店を開けるように、遠海に土地も買った。
万三郎と仲良くやってくれるように頼む。
腹違いで気難しいところもあるが、お前の弟だ。
お前があいつの面倒を見てくれればいいんだが・・・
金を送る。
たまった家賃払って米買っても、十分だろう。
あとは初詣でも行って遊ぶこったなぁ
東京じゃ別嬪も多いこったろう
 
そんな内容の手紙だが出さないで金だけ送ったのだろう。現金書留の控えが添えられていた。昭和三十二年十二月の日付で、金額は一万円だった。今の額にすれば三十万円ほどに相当する額だった。
 
万三郎が長野と岐阜へ行くのは廃校のこともあるが、そこには三科暢の両親の身内が残っていた。
万三郎は暢のことでその肉親を訪ね歩き、そして熱海に乗り込んだ。
「どうだい。商売のほうは」
「思うように儲からんな」
「商売なんて、そういうもんだ。飽きないで売るから商売ともいうし」
「わざわざ、俺に説教垂れにきたって訳か?」
「説教かどうか?それはあんたの取り方次第だ」
 はじめは儲かると思っていた田舎っぺの商売に絹江は糠喜びの状態で、名古屋まで買い物へ行く日もめっきりと少なくなっていた。
 その彼女が万三郎に茶を淹れて運んだ。
「あたしはいないほうがいいわね」
「いや、あんたもいてくれ」
 田舎っぺ本部に三科が仕切る関東ブロックの加盟店が、卸値が高すぎると苦情を持ち込んでいた。さらには食材が悪いとも。
そのことを万三郎がいった。
「商売っていうのは持ちつ持たれつだ。儲からないからって卸値を上げるは質を落とすじゃ、加盟店が逃げるぞ」
 三科は問屋を探しまわっているが、おいそれといい思いをさせるところなど見つかるはずもなかった。そこで、質が悪かろうが安くしてくれるところと取引をしていた。
「俺の店をどうしようと、他人に文句いわれる筋合いじゃないだろうに」
「そういう考えじゃ、先行きが見えてるな」
 万三郎は懐から紙切れを出し、それを三科に見せた。
「これは間違いなく、あんたが書いたものだな」
 二十年程前、三科が実の弟と両親から借りた一千万の借用書だった。
「この金を工面するのに、親や弟が持ってる田畑ばかりか家まで売ったそうだな。それを返すどころか、催促されても知らん顔だ。そればかりか、俺にも散々無心してたな」
「そんな昔のことほじくり返して、どうしようっていう気だ」
「この借用書は俺が買い取ってきた。そこでだ。金を返してもらおうと思ってな」
 絹江は三科の顔を見つめたまま、信じられないといった目をしている。
「ヤクザみたいな真似する気か!」
「今度は、俺があんたを訴える番だ。俺に無心した分はいい。とにかく、この金だけは即刻払ってくれ。弁護士から改めて連絡がいくだろうが、あんたにはまだ金が残ってるはずだ。裁判になれば、あんただっていい気はしないだろ」
「馬鹿抜かせ!俺に金がありゃ、こんな商売なんかやるかってんだ」
「あんた。本当にお金持ってないの?」
「お前は黙ってろ」
「黙ってられないわよ。ないんだったら、たった今出て行くからね」
 億の金が入るどころか、借金持ちの三科に、絹江は落胆していた。
「やっぱりあんたは、信用できない人間のようだね」
「どう思おうと勝手だが、もう籍は入れてあることを忘れてないか」
「冗談じゃないよ。そんなもん、嘘ついてたとなれば、ただの紙っきれじゃないか。あたしゃ、帰るよ。慰謝料。騙して結婚させられたんだし、きっちり請求するからね」
 絹江はそそくさと着替えて出て行ってしまった。
「若い女を騙した罰ってもんだ」
「お前が古傷に塩を塗りこむようなことするからだろ」
「俺も帰るが、五日以内に金を持ってこなきゃ、本当に訴えるからな」
 野瀬の筋書き通り上手くことが運び、万三郎は不敵な笑いを残して立ち上がった。
 
 春樹は春を前にしなければいけないことが山積しているが、四回忌がちかい万吉の部屋にいることが多い。
 父親代わりだった万吉の日記を読み返しては、一人笑ったり胸を熱くしたかと思えば、気が抜けたように呆然となったりしている。
 そんな彼に美紗緒が梶山のことを訊ねている。
「最近ぜんぜん顔出しにこないけど、元気なんですか?」
「花見が終わったら、出て行くことになった」
「えっ!どうして?」
「聞いても、はっきりしたこといわないんだ」
「それより、美紗緒さんに風越荘をやってもらえないかな。ここはまた俺がやるし。できることなら、義男さんと一緒に風雲舎も一緒にやって欲しいから、小椋に引っ越して欲しいんだ」
 夫の義男からそれとなく引越しの話を聞いていたが、まさか梶山が原因だとは思いもしていないことだった。
 
 梶山は最後の奉公とばかりにメニューのレシピを、一冊のノートに纏め上げた。顧客名簿には各人の好きな料理も書き加えた。そういったことを仕事の後にこつこつとやっていた。
「ここを出ても行くあてがないのに、どうする気?」
「とりあえず、千葉の翔螢庵に行こう」
「野瀬さんが紹介してくれたところ?」
 廃校を利用した町営旅館をやってみないかと、それとなくいわれていた梶山だった。
「私はここのがいいけど・・・」
「万吉さんがさ、同じ人間とばかりいると考え方が似通って、物事が見えなくなるときがあるっていってた」
 春樹夫婦と万三郎。それに野瀬夫婦。梶山にしてみれば、皆いい人間だった。そういった人たちから離れて行くのは淋しいが、距離を置いて見る時ではないかと思うのだった。
 
 三科が行方不明になり、彼が握っていた田舎っぺの加盟店は再び本部の傘下に戻っていた。
「叔父さんがどうやったか知らないけど、礼をいわなくちゃ」
「そんなことはどうでもいい。それよりだ。親父の遺言どおり、喜左衛門をしっかり頼むぞ。俺はここをがっちり守っていく。昴心宿みたいにしたいっていう陽太もいるし。あいつも今じゃ、いっぱしの大人だ」
 麗奈はそれを聞いて顔を熱くした。
「梶山さんが呼んだ若い連中三人もいい働き手だが、人材をもっとふやさにゃならん。子供達に、ここに残りたいっていわれるような風雲舎にしないとな」
 
 見返り桜は例年より早い花見を迎えた。そして、それは短い花見期間となった。季節はずれの雪で、花がしおれたり落ちてしまったからだ。
 そんなときに、梶山と波流美が旅立つことになった。
「見返り桜で首吊りした自分が今、こうして皆に挨拶してることが不思議です。思い返せばあっという間の七年でした。万吉さんが亡くなってから淋しい思いをしたこともありますが、それは村井さんのがもっと辛かったでしょう。長男に喜左衛門と名前をつけたのは、万吉さんが始めた店だからこそつけたんだと思います。その子供ももう四歳で、どことなく万吉さんに似たところもあって、他人とは思えない気がします。でも、子供よりも春樹さんのが万吉さんの血を色濃く引き継いでいるはずで、万吉さんの思いは間違いなく伝わってると思います。そういう村井さんや万三郎さん。それに野瀬さん夫婦や、美紗緒さんをはじめとした皆と別れるのは辛い。波流美はここに残りたいっていってるし。でも、離れたところから皆を見るのも、必要だと思うんですよ。そうすれば、見えないものも見えてくる気がするし。自分に何ができるか分からないけど、ひとまわり大きくなって、それでまた戻ってくるつもりです」
 梶山がそういうと、皆が拍手した。
「そういうことで梶さんは明日、千葉に行くことになった。でも、今いってたように、いつかはここに戻ってくる。それまで、皆で頑張っていこう」
 春樹がそういって乾杯の音頭をとった。
 
 翌朝、梶山はまだ寝ている波流美を残し、一人で見返り桜へ行った。
 先日降った雪がまだ残っているが、いい天気になるのか、雲海がどんどん薄くなっていく。
 
首を吊ったとき、あのまま死んでたら今の自分はいない。
死に損なったからこそ村井と知り合いになり、思いもよらない人生を切り開いてきた。そして今、未来に向かって新たな道を歩みだす自分に、梶山は満足している。
ワンダラーやワンコインといった大手資本を敵にまわし、村井春樹という人間の凄さを間近で見てきた。その彼がこのさきどういった人生を送るのか知らないが、たとえ離れていても、彼とはおそらく一生付き合っていくことになるだろう。否、万吉の命日には毎年花を手向けにこなければならない。
「これ爺ちゃんがもって行けって」
 そういって美穂に運ばせた山葵の葉と茎の蕎麦巻き。
その味が喉に甦ってきそうだった。そして、禿げ頭を後ろ手で撫で上げる万吉の照れたような仕種が思い返された。
 命を助けてくれたのが春樹なら、万吉は人生を切り開いてくれたのではないかと思う梶山だった。
 
「梶さんとは兄弟のような付き合いをしてきた。いつでも帰ってきて欲しい」
「村井さん。吹雪はもうないだろうけど、桜が毎年咲くとは限らない。人だって、離れて行く時がある。皆、変わって行くんだよ。あまり、物事に固執しないほうがいいと思う。そう感じたから、俺はここを離れる。でも、戻ってくるつもりだ。風越が好きだし、村井さんも好きだから。戻ってきたとき、風越がどう変わってるのか、楽しみにしてる。でも、変わってほしくないっていうのも、あるんだ」
 梶山が何をいいたいのかよく分からない春樹だった。
 残り少なくなった焼酎をあおるように飲みながら、見返り桜のことを知った。そして、ぶらっと降りた風越駅。そのときのことを思い出しながら、梶山は春樹とがっちり握手を交わして列車に乗り込んだ。
 
                    完

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