自作小説の連載です 立ち読み大歓迎です

父方の弟と妹。
つまり、私にとって叔父と叔母になる2人との関係をかいつまんでおきたい。
叔父は我が家から2駅のところに住み、何かにつけて訪れてくることがあるが、私自身が尋ねていくことはあまりない。
都内在住だが遠く離れた叔母とは、お互い電話で話すいがい疎遠になっている。
そんな2人と名古屋に向かった。

最後に新幹線に乗ったのは10年以上前のことで、品川駅で乗降できるとは知らなかった。
ホームーへ行く途中叔父が駅弁を買おうというが、私は2時間足らずの乗車だし、自宅を出る直前に食事を済ませたこともあり、要らないと断った。それならビールでも飲んだらといわれるが、それも丁重に辞した。
叔父と叔母は早速車内で鯵の押し寿司を食べ始め、美味しいといい、私に勧めるが食べる気になれない。
それより、私はコーヒーでも飲みながら煙草を吸いたかった。だが、叔父が手配した座席は禁煙車でそうもいかなかった。

モダンな高層ビル街を抜け、両サイドがコンクリート壁に変わり鉄橋に差し掛かったところが多摩川で、我が家がすぐそばにあることから、見慣れた富士山や奥多摩の山々が車窓に映しだされた。
あっという間にのぞみは静岡県内に入り、馴染みの富士が勇壮な姿に変わった。
その後しばらく転寝していると名古屋に到着だった。
初めての名古屋だが物見遊山に来たわけではないので、観光をすることもなく目的地の斎場へタクシーで直行した。

私の父方の次兄の嫁。
つまり私にとっては叔母であり、同行の2人にとっては兄嫁にあたる人が亡くなったのだ。
亡くなった叔母の末っ子Sは私より4つ下で、私が小さい頃はよく遊んだものだ。
喪主の長男Uさんは私より8つ上で、まともに話した記憶はないが、それでも従兄弟同士というよしみで15年ぶりほどの再会となった。
その2人の間には4つ上のT子さんがいて、3人の子供をつれていた。
そういった叔母の子供や孫に曾孫と会うものの、何しろ15年ぶりのことで、お互いに顔を合わせても一瞬、誰だったかなーという面持ちになるのはしかたないことだろう。
私とは股従兄妹に当たる人間など一面識もないのだから、お互いに誰だろうといった感じだった。

そのもっとも顕著な人が、大阪からやってきた叔父兄弟の長兄のTさんだった。
通夜が始まり焼香を済ませた私は椅子に座っていた。
遅れてやってきた叔父Tさんの顔は、私が中学2年のとき田舎の姫路へ初めていったときTさんの実家に寄ったことがある。
Tさんは4人兄妹の長男で、その下がYさん、T子さん、Hさんと続く。
Tさんは父親そっくりの顔なのでよく覚えている私だった。
そこで焼香の済んだTさんに私が目礼をし、隣の椅子に促した。

来賓の焼香がすべて終わり、控え室で親族だけの会食となった。
そこで私は改めてTさんに名乗った。
「なんやー。Kかいな。誰ぞと思うってたんやが分からんでなー」
名脇役の田村高廣さんに似た柔和な顔のTさんがいう。
「仕事やなんだかんだで不義理してばかりで申し訳ありません」
と私。
「えーぇって。それより、お母さんが癌で大変だったらしいな」
「まぁ、なんとか恢復してるんで」
「オー。やっぱり、Kだったんや。オッサンになってしもーて」
「T叔母さん」
「やっぱりなー。誰やと思ってたんや」
などと本当にしばらくぶりの再会で、
本来はしめやかに故人を偲ぶ通夜だというのに、
和気藹々のような和やかなムードに一変していた。
通夜といえども、私のように不義理してる人間はどの家系にも必ずいるもので、このように友人と旧交を温めるようなシーンは見受けられるのではないだろうか・・・
この夜は私が15年ぶりに名古屋大阪の親族に会ったということで、2時まで昔話に花を咲かせた。

翌朝は名古屋名物のモーニングを食べようということで喫茶店にいくが、コーヒーにトースト1枚とゆで卵で530円だった。
これなら東京のが、まだ安くていい店があるのにと思わされる喫茶店で、大阪のTさんはじめ一様に口をそろえてブーイングの嵐だった。

午後1時から葬式で2時に出棺し、火葬が終わるのは4時過ぎという予定でした。
大阪勢の皆さんは火葬場で荼毘にふしたところで帰るという。
私と同行した叔母は膝が悪く立っているのも畳に座るのも辛い状態だし、叔父は翌早朝からどうしてもやらなければならないこともあり、私が東京代表で、自ら最後まで残ることにした。
お骨を拾い上げる時まで気丈だったU兄妹3人も、このときばかりは他人を気にすることなく声をあげて泣いていた。
私ならどうなるだろう?
父の時は涙は出なかったが、母の時は・・・

斎場に戻り初七日を済ませての会食。
先ほどの拾骨で涙を見せていた遺族が、親族のテーブルにビールを注いで歩く。
「遅くまで付き合ってくれて有難う」
UとS兄弟が代わる代わる私のグラスにビールを注いでくれる。
昨日10時頃にご飯1杯がまともな食事だっただけに空腹だったが、春を思わせる陽気でビールが美味い。勧められるまま飲んでいた。

帰りをどうしようかと来る車中からずっと考えていた。
中央高速の飯田経由で高速バスに乗ってみたいと思っていた私だが、家族はすぐに帰ってこいという。
名古屋駅には私の父の妹とその息子が車で送ってくれた。
これまで、その叔母から母の見舞いにと何回か現金書留を送ってくれていたこともあり、私は孫に何か買ってやるようにと、その叔母に小遣いを渡そうとしたが、先手を打たれてしまった。
この叔母とは私が小学校に上がる前の2年間ほど一緒に住んでいたこともあり、いちばん近しい身内だった。
「そんなことされたらこれなくなるから」
「お母さんに栄養のつくものでも買ってあげて」
とうとう押し切られてしまった。

高速バスで帰る気はなくなっていた。
というのも、革靴が小さくて足が痛くてしょうがなかった。そして、スラックスのウエストもあわなくなっていたこともあり、すぐに新幹線の切符を手配し、駅構内の名古屋コウチンの店に入った。
「日刊ゲンダイ」を読みながらビールと日本酒を煽り、コーチンの焼き鳥とたたきをつまんだ。
何年か前に、やはり秋田駅構内でも比内鳥の店に入ったことがある。
いずれも、こんなものなのか・・・という味わいだった。

10時半に帰宅した私は名古屋名物の「ひつまぶし」を家族に土産だと手渡した。
昨夜は3時間ほどしか寝てないが、妙に寝付けない。
79歳で故人となった叔母の顔がちらつくこともあった。
久しぶりに身内と会い、その懐かしさに興奮にも似た昂ぶりなのだろうか?
とにかく私は旅に似たような今回の名古屋行きだったが、
叔母は間違いなく、天国へと旅立っていったのだ。

                   合掌

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今から10年前の1998年。
この年のスポーツ界の目玉はなんといっても、長野で開催された冬季オリンピックだろう。

モーグル7位に入賞した上村愛子さんは18才だった。

同じく10年前に、高橋尚子さんはバンコクアジア大会で、30℃の猛暑の中で驚異的なスピードで優勝を決めた。
彼女は42,195キロを走りきったというのに疲れを見せるどころか、息が上がった様子もなく淡々としてることが多い。
2000年のシドニーオリンピックでは優勝を果たし、国民栄誉賞を受賞し、Qちゃんの愛称で親しまれ一躍国民のアイドルになった。

その2人が台頭してから10年。

上村愛子さんはその後も小さな波乱があったものの、昨日のw杯で優勝し3連覇を成し遂げたという。
そして今日の名古屋女子マラソンに出場した高橋尚子さん。
北京オリンピック代表を決める最後の1人として名乗りをあげるべき大会だったが、序盤で失速して完走も覚束ないのではないかという状況で、27位という結果に終わってしまった。
それでも引退はしないという。

この2人がそれぞれの分野で認知されてから10年。
結果や記録ばかりが注目される中、はっきりと明暗を分ける形になった。
何が原因でそうなったのか?私には知る由もないが、上村さんは現在28才で高橋さんが35才。両者の7才差というのは、ジャンルは違うものの、スポーツ界においてはかなり大きなハンデになるのではないかと思う。

高橋選手だけでなく、上村選手もいずれは引退の試練を迎えるだろう。
既に長野オリンピックで活躍した原田選手は現役から退いてしまった。

10年ひと昔、とはよくいったものだなーと妙に感心してしまう今日この頃です。

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今日は仕事もなく午前中は買い物をし、昼寝して起きたのが3時過ぎ。
その後「水戸黄門」を見るとはなしにネットサーフィンをしていた。
パソコンのモニターに向かってるとテレビは後ろになり、画像を見ることはほとんどない私。まるっきりラジオを聞いているようだ。

それが沼垂という言葉で振り向いた。
沼垂は私が昔出張で行ったことのある新潟港に面した小さな町だった。
それで気になりテレビを見ると面影のある女優が出ていた。
izumi_igarashi_001額が大きいおでこちゃんの五十嵐いづみさんが、回船問屋の御料さんとして出ているではないか。
この水戸黄門役は佐野浅夫さんで、私は彼をあまり好きではないのでほとんど見ることはなかった。
なのに、五十嵐いづみさんが出てるのを知り、ネットどころではなく、ずーっと見てしまった。

私が五十嵐いづみさんを最後に見たのは、銭湯に置いてある”1010”という小冊子の記事だった。
それは銭湯にはよく行くという、下町育ちらしく飾り気のない彼女を象徴した内容だった。
それ以前、彼女のことをドラマなどで見たとき、いい女優だなーと感じてたこともあり、この記事を読んで益々彼女に好感を抱いた。
ところが、その後は彼女の姿を見ることがなかった。

そういう経緯での今日、何年ぶりかに五十嵐いづみさんの姿を見ることができ、心が躍った次第だ。
着物に銀杏結?は江戸時代の女将さんの格好だろうが、これがなかなか初々しくていい。
本当はモダンなファッションのが似合うのだが、そういう姿でも堂に入ってる彼女に、再び恋心を抱いた次第だった。

移り気な私だが、心の恋人に再会でき、帆立の刺身を肴に美味い晩酌ですっかり酔いがまわっているようだ絵文字名を入力してください

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桑田眞澄がついにユニフォームを脱ぐ決断をした。

彼はPL学園から大学進学を目指すはずだったが、突如巨人に入団し、盟友の清原とギクシャクしたときもあったらしい。
それも昔のことで、清原自身もやがては西武から巨人に移籍してそのシコリモなくなったのだろう。
だが、桑田自身は登板の機会に恵まれず、去年には球団の方針と合わずにメジャーを目指した。
そこでは現役投手というよりも、彼の人柄を買うチームメイトや首脳陣からの評判がよかった。
それでもプロである以上結果を残さなければならない。それが、開幕直前に怪我をしたせいか、思い通りの成績を上げることができずにわずか1年で退団した。
それにもめげず、今年は他の球団でメジャーを目指したが、昇格を望めなかった。
その球団は、引退セレモニーを兼ねて先発する機会を与えるがどうかと彼に訊ねたそうだ。
桑田いわく、勝負は勝つもの。それに私情は要らないと断ったそうだ。
さすが、侍魂を持った日本男児ではないか!
彼にしてみたらするべきことはすべてやった。
その結果に悔いはなしといったことだろう。
そんな彼にお疲れ様といいたい。

プロの世界で何にしても、一つのことを極めていくのは大変なことだと思う。

頂点に上り詰め横綱になり役員から理事へ。
その相撲界は去年リンチにも等しいしごきで、少年の命を奪った挙句、関係者はその事件をひた隠しにしてきた。
また仮病だということは誰の目にも明らかな朝青龍をまともに処分できない、親方やその相撲界の役員や理事たち。
彼らこそが潔く引退するべきだと思うのは私だけだろうか?

スポーツ馬鹿とはよく言ったもので、その道しか分からず、世間の常識から逸脱した者が多いのだろう。
桑田眞澄はそういう者とは一線を画したクレバーな人間であることは間違いない。
そんな彼の現役引退に大きな拍手を送りたい。

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